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ラティーノ!!
米国最大のマイノリティ

2)ラテン・パワー炸裂! 音楽


 “ラテン音楽”と、軽々しく十把一絡げにするべからず。実は様々なリズムとスタイルがある。陽気なマンボ、メレンゲ、ルンバ、チャチャチャなどはカリブ海諸国、ソンブレロが必須のマリアッチはメキシコ、スタイリッシュなタンゴはアルゼンチン、素朴なフォルクローレはペルー…と、有名どころだけでも数え上げればキリがない。


 そこで、とりあえずはプエルトリコ系の一大コミュニティであるスパニッシュ・ハーレムに出掛けてみた。すると、そこにはサルサが溢れていた。店先に置かれたラジカセ、開け放たれたアパートメントの窓、通り過ぎる車の中から、絶えることなくサルサのリズムが聞こえてくるのだ。


 創業30年の老舗サルサ・レコード店“カサ・ラティーノ”のオーナーは、プエルトリコ生まれのご夫婦。奥さんのクリスティーナさんは「最近は余所へ引っ越すプエルトリコ系が増えて、代わりにメキシコ系がどんどん増えているわね」と、やや淋しそう。そういえば、ここへ来る途中、かなりの数のメキシコ系レコード店を見かけた。おそらく西海岸の中南米系コミュニティーが飽和状態になったために、東海岸へと移住する人が増えているのだろう。


 しかし、毎年200万人を動員するプエルトリカン・デイ・パレードを2日後に控えていたこの日、街にはいつにも増して大量のプエルトリコ旗が翻り、サルサのリズムが充満していた。ニューヨークのラティーノ社会では、まだまだプエルトリコ系が最大人口を誇っているのだ。


 そのプエルトリカンが愛するサルサ・ミュージックとは、実は“ニューヨーク生まれのラテン音楽”だ。1940〜50年代にはキューバがラテン音楽の一大生産地だった。キューバ本来の音楽に、アフリカのリズムが強烈な影響を与え、スペインのフレイバーも少々。このコンビネーションがキューバの音楽を豊かなものにし、新しいラテン・リズムが続々と生まれた。なかでもマンボはニューヨークのラテン・コミュニティーでも熱狂的なブームを巻き起こし、ラティーノたちはクラブで夜ごとに踊り明かした。


 ところが1959年にキューバ革命が起こり、米国とキューバは国交を断絶。キューバの音楽はニューヨークに入ってこなくなった。すると、ニューヨークに暮らすプエルトリコ系ミュージシャンたちにスポットライトが当たり始め、彼らがマンボから変化した新しい音楽サルサの担い手となった。その代表は“ラテン音楽の帝王”と呼ばれた偉大なるティンバレス奏者ティト・プエンテだろう。


 カサ・ラティーナのクリスティーナさんの勧めで、5番街の通称“ミュージアム・マイル”にある“ボーイズ・ハーバー”という音楽学校を尋ねることになった。ちなみにミュージアム・マイルとは、メトロポリタン美術館を筆頭に多数の美術館が建ち並ぶセントラルパーク沿いの通り。観光客にもお馴染みのスポットだが、実はミュージアム・マイルから2ブロック東に入った地区一帯がスパニッシュ・ハーレムなのだ。ルノアールやピカソの展覧会のすぐ裏で、大音量のサルサが鳴り響いていると考えるのは、なかなか楽しい。


 しかも、スパニッシュ・ハーレムからミュージアム・マイルへと行くために104丁目を通り抜けたところ、ここは見事な“ミューラル・ストリート”となっているではないか。ミューラルとは壁画のことで、プエルトリコ系は独特のタッチの壁画を描くことで知られている。伝統的な画風のものから、最近、中央のメディアからも注目され始めているジェームズ・デ・ラ・ヴェガによる斬新なタッチのものまで、いちいち立ち止まって眺めてしまうので、一向に先に進まない。


 さて、ようやく辿り着いたこの音楽学校では、サルサのワークショップが開かれている。参加者の多くはプロ、セミプロで、毎週月曜日の夕方6時に、地下のスタジオにそれぞれ楽器を手にして集まる。サックスやトランペット、パーカッション類、ピアノ、シンガーなど総勢25名。
 ディレクターのルイさんの指揮で、ティト・プエンテ、マチートなどサルサの大物の曲を演奏していく。相手がプロであるにもかかわらず、ルイさんの指導は厳しい。ひんぱんに演奏を中断させては、「頭で考えるな!」「ソロの出だしが遅い! 待ってる間にピザが食えちまうよ!」といった具合だ。しかし、曲数をこなすにつれてミュージシャンのテンションも上がり、そうなるとさすがプロ、「これをタダで聴かせてもらっていいのか」と思うほどの見事なアンサンブルとなった。


 サルサを“熱い”と形容するのは、いかにも月並みだが、本当に熱いのだ。カン高い音で吹きまくるブラス・セクション、圧倒的なリズムのコンビネーションを生み出すコンガ、ティンバレス、ボンゴ。ピアノも、モーツァルトを演奏するのと同じ楽器だとはとても思えないほどに、ラテン特有の音を紡ぎ出す。
 ただし、ミュージシャンがプレイする様はあくまでクール。汗を振り絞って大熱狂、といったふうではない。しかし、演奏される音楽の“芯”の部分が、確かに熱いのだ。このラテン特有の熱さは、やはりナマで聴くまでは体感できないだろう。


 このワークショップに長年通っているシンガーのルイスさんは、「僕はプロで、週末にはクラブで歌ってるし、日本に演奏に行ったこともある。けれど、このワークショップは真剣な切磋琢磨の場になってるんだよ」と言う。
 12歳の時からバリトン・サックスを吹いているカルメンさんは、昼間は公立学校で音楽を教えている先生だ。「お呼びがかかれば、クラブでもバーでも、どこでも演奏するわよ」とチャーミングに笑う。しかし「女性である以上、常に自分の演奏能力を(男性ミュージシャンに対して)証明しなくてはならないの」と、タフな面も見せる。


 何事に対しても鷹揚に見えるラティーノたちだが、こと音楽に関しては厳しい。サルサもジャズも、同じようにアフリカのリズムをルーツに持つわけだが、ジャズがアドリブ(即興演奏)を多用するのに比べ、サルサは楽譜通りに、あくまできっちりと演奏される。“熱い”サルサからラティーノの意外な一面を知ることができた。ワークショップでトランペットを吹いていたジェイミーさんが言った。「今風のアレンジはしない。正統派の演奏を守っていくんだ」。




U.S. FrontLine No.190(2003/07/20号)掲載記事
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