ハーレム


ハーレム・ピープル

その笑顔、ジョーク、温かさ。アメリカ広しと言えど、こんなにも魅力的な人々が住む街は、ここハーレムだけ。プラス、そんなハーレムに溶け込んで暮らす日本人もいる。



ハーレムで歌う日本人ジャズ・シンガー
霧生宣子(きりゅうのぶこ)


 取材場所のホーム・スウィート・ハーレム・カフェに現れたジャズ・シンガー霧生宣子さんは、知的な雰囲気のなかにも、ここハーレムで暮らし、歌うのに十分な一種の落ち着きも備えていた。


 「私が初めてハーレムのジャズ・バーを訪れたのは今から5年前、まだハーレムが、こんなにきれいになる前です。バーの中には往年のジャズ歌手ビリー・ホリデーになりきっている女性や、ジプシーみたいな人もいて、うわぁ、ここは一体なんなんだろうって驚きましたね。」
 でも、その独特の濃密な空気が、ハーレムのジャズに浸りきるキッカケになったとか。


 「どうしてもハーレムに住みたくて、当時、友人がハーレムの高級住宅地シュガーヒルに住んでいたので、そこにしばらく居候したんです。そうしたら、そのアパートで夜逃げした人がいて、そこで大家に頼み込んで、その空いた部屋を貸してもらったんです」。


 「私がここまでハーレムに強く惹かれるのは、やはりジャズを歌っているからだと思います。日曜の朝、遠くから、かすかにゴスペルが聞えてきたり、道ですれ違うおじいさんの鼻歌がジャズだったり。ここではジャズが文化として生活に結び付いているんです」。


 母親は尚美学園大学音楽表現科の教授、義父はジャズ・ピアニストという音楽一家に育ち、舞台女優が夢だったという子供時代を経て、当初はピアニストとしてホテルなどで演奏活動を開始。そのうちに歌うことの楽しさを知り、東京のジャズ・クラブで歌うようになった霧生さん。しかし離婚という辛い体験をし、1996年に渡米を決意。


 「離婚の直後で、私も心に傷を負っていたと思うんです。その痛みがハーレムで、ジャズによって癒されていったんです。ハーレムの人たちは、肌の色が黒いというだけ。怖いと思ったことなんてありません。みんな明るくて親切なんです」。


 日本人が、ジャズの本場ハーレムで歌うことについては?
 「年齢的にも技術的にも、ハーレムのベテラン・ミュージシャンに比べたら、私なんて、まだまだヒヨッコです。でもジャズを本当に愛する気持ちがあれば、それは相手にも必ず伝わるんです」。


 霧生さんは、これまでハーレムの老舗ジャズ・クラブ、レノックス・ラウンジなどに出演。今年6月からは、2年間通い詰めて出演契約を手に入れたという、これも歴史有るジャズ・クラブ、ショーマンズで"J Jazz Sisters"のメンバーとして週1回のレギュラー出演を果たしている。やや低音でハスキーな霧生さんの歌声は、ノスタルジックなハーレムの夜に良く似合う。

U.S. Front Line 2001/09/05号掲載記事
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