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(初掲 2004年7月) |
アメリカに存在する無数のマイノリティー・コミュニティ− そこに暮す人々が決して踏み越えることない人種の境界線に迫る 1954年5月17日、アメリカ最高裁は、黒人と白人の子どもが別々の学校で学ぶ「人種分離教育」は憲法に反するとする判決を下した。当時10歳の黒人少女リンダ・ブラウンが、白人だけが通う小学校への入学を拒否されたことに端を発する、有名な「ブラウン対教育委員会裁判」である。 それまでのアメリカでは、学校をはじめとする公共の施設で黒人と白人が同席することは許されず、それは「分離すれども平等」(=人種ごとに分離させても施設が同じ質を保っていれば平等である)という理念に基づいていた。 しかし実際には黒人用の施設は、すべて白人のものとは比べ物にならないほどに貧しかった。なにより黒人には自分の行きたい学校に行くという自由がなかった。「ブラウン対教育委員会裁判」の判決は、白人社会の都合によって作り上げられた「分離すれども平等」という建前を根本から崩壊させたのだった。 あれから50年が経った。 しかし、教育現場に於ける人種の分離は今も続いている。法律による規制はなくなったにも関わらず、多くの学校が「生徒のほとんどが白人」であったり、「黒人ばかり」、または「ラティーノが圧倒的多数」という状況のままだ。 なぜだろう? それは人々が同じ人種/エスニックでコミュニティーを作り、暮しているからにほかならない。多くの人がコミュニティーの中で生まれ、または外国から移住してきてそこに落ち着き、学校に通い、大人になる。他の人種と接することがなければ、差別を受けることもない。 つまり、『多人種国家アメリカ』の実像は、見えない境界線によって区切られた無数のコミュニティーの集合体だったのだ。 コミュニティーに暮す人々は、その中と外で何を体験し、何を考えているのだろう? コミュニティーに暮らす人、コミュニティーをあえて飛び出した人へのインタビューを通し、マイノリティー・コミュニティーの意味を問う。 ■見えない境界線〜人種差別 Nowインタビュー: 1)イレイニー ドミニカ系アメリカ人(ラティーノ) 2)シドニー アフリカ人/ハイチ人/アメリカ人 3)ヴィンセント + アントワネット プエルトリコ系+アフリカンアメリカン + アフリカンアメリカン 4)エリカ + マーク 日本人 + アフリカンアメリカン 5)チャーリー 東アジア系移民 6)ニコラス スロバキア人移民 ※ U.S.FrontLine その他の記事 |
U.S. FrontLine No.219(2004/07/第1週号)掲載記事
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文・写真:堂本かおる