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ゴスペル
ブラックミュージック!!

神への讃歌であるゴスペルが、こんなにも熱いにのは理由がある。アメリカ黒人たちが歩んだ宗教と音楽の歴史とは?


 ゴスペル教会の日曜礼拝に脚を運んでみると、牧師の説教からして既に熱い。「神の声が聞こえるか?!」「イエース!!」「聞こえるか?!!!」「イエース!!!」 と、信者とのコール&レスポンス(掛け合い)を繰り返し、それが頂点に達した時点でゴスペル隊の登場となる。一曲ごとに歌声も熱気を帯び、スピードもどんどん加速していく。タンバリンやドラムのリズムもはじけんばかりとなり、誰もが脚を踏み鳴らし、踊り、中には神と実際に接しているかのように、恍惚の表情で腕を中空高くに差し出す者すら出てくる。


 ゴスペルとは、キリスト教徒が神を讃え、神に近ずき、そして感謝の念を表すための音楽。だが教会と聞いてイメージするのは、荘厳なゴシック建築、内部もシーンと厳かで、セキひとつすることさえも、はばかられるような雰囲気。なのに黒人教会のこの熱さはいったいどういうこと? その答えは、カソリックとバプティストという宗派の違い(*)だ。重々しい雰囲気のカソリック教会に対して、黒人パプティスト派教会はもっと気さくでカジュアル。映画「ブルース・ブラザーズ」でジェームズ・ブラウン演じる熱血牧師がシャウトしまくっている教会が、誇張はあるものの、典型的な例だ。


 ゴスペルの歴史は奴隷の歴史と共に始まる。北米にアフリカからの奴隷が初めて連れて来られたのが1619年。以来、奴隷たちはアメリカ南部の農園で綿花やタバコの栽培収穫という重労働を強いられた。ーどこまでも、どこまでも続く広大な綿花畑。茶色く枯れた茎の先には真っ白な綿花がついているが、それを積もうとすると必ずトゲを指に刺してしまう。それよりも辛いのはこの暑さだ。炎天下のもと、日の出から日没まで働き通し。食事だって満腹するまで食べられることなど、ほとんどない。この苦しい奴隷生活は、ああ、死ぬまで続くのか。


 こんなやりきれない思いをほんの少しでも和らげるために、奴隷たちは畑で働きながら歌を歌った。白人奴隷主によってアフリカの部族語を使うことを禁じられたので、シンプルな英語で日々の生活の様子などを歌にした。またアフリカ音楽には欠かせないドラムを使うことも許されなかったので、コール&レスポンスによって独特のリズムを作り出した。これらはワーク・ソング(労働歌)と呼ばれ、後のすべての黒人音楽の基礎となった。黒人音楽の最新型であるヒップホップに於いてもコール&レスポンスがとても需要な要素となっていることからも、それは判る。


 やがて奴隷主たちは奴隷をキリスト教に改宗させていった。“未開のアフリカ人を聖なるクリスチャンに改宗させるのだから、奴隷制も悪いことではない”という理論。けれどそれは奴隷たちに思わぬ“自由”を与えることになった。教会の中だけが白人の監視下におかれず、自分たちだけで集える場所となったからだ。ここで黒人たちは祈り、そして歌った。歌はふだん畑で歌っているワーク・ソングを宗教歌に変化させた“スピリチュアル”だった。このスピリチュアルがさらに進化したものがゴスペル。だからゴスペルは神への讃歌であると共に、自由への讃歌でもあった。また日曜礼拝は、他に娯楽のない奴隷にとって唯一のエンターテイメントの場となり、社交場でもあった。その伝統が今にも受け継がれ、教会に出掛ける黒人はゴージャスに着飾る。(おばさまたちのファッションを見よ!)さらに教会は黒人コミュニティ(地域社会)の中心となっており、牧師たちは昔から現在に至るまで地域のリーダーであり、政治家となる者も多い。かのマーティン・ルーサー・キング牧師、84年、88年の大統領選に立候補したジェシ・ジャクソン師、次回の大統領選に出馬しようとしているハーレムのアル・シャープトン師など、黒人運動のリーダーに牧師が多いのも、こういう理由だ。


 現在、ゴスペルは教会で歌われているだけではない。ゴスペル・シンガーたちはCDを何十万枚も売り、コンサートを開き、ヒット・チャートにも登場する。有名どころでは、今や大スターのカーク・フランクリン、ベテランのビービー&シーシー・ワイナンスやアル・グリーン、ポップス・デュオのようなルックスの姉妹メアリー・メアリ−。また人気絶頂のR&Bトリオ、デスティニーズ・チャイルドのメンバー、ミシェル・ウィリアムズも4月にゴスペル・アルバム「Heart to Yours」をリリースしたばかり。さらにはゴスペルにヒップホップを取り込んだ“クリスチャン・ラップ”なるジャンルまで存在する。アフリカンーアメリカンにとって、信仰と音楽は世代を超えて受け継がれていくものなのだ。


*バプティストは「牧師Reverend, pastor」「礼拝servise, worship」、カソリックは「神父father」「ミサmass」という用語を使う




● カーク・フランクリン ●

  ゴスペルを、R&Bやヒップホップと同じポップ・ミュージックの土俵に持ち込んだのがカーク・フランクリン。ゴスペル・シンガーのイメージからはかけ離れたスタイリッシュなファッションに身を包み、ビデオクリップもオシャレ。93年のデビュー・アルバム「カーク・フランクリン&ザ・ファミリー」はゴスペル界初のプラチナ・ディスクを獲得し、グラミー賞も受賞。サウンドは王道ゴスペルを踏襲しながらも、巧みにヒップホップを取り入れているが、歌詞はやはり敬虔なクリスチャン道を貫いている。例えば「He Loves Me」という曲があるが、この場合の“He”とは、もちろん神のこと。


 現在32歳のカーク・フランクリンは、テキサス州で15歳の未婚の母親から生まれ、64歳の叔母に引き取られた。父親が誰なのかは知る由もなかったという。まだ幼い甥が素晴らしい音楽の才能を持っていることに気付いた叔母は、空きカン集めをして彼のピアノ・レッスン代を工面。その甲斐あってカークは弱冠11歳で教会の音楽リーダーとなる。ところがティーンエイジャーになったカークは両親不在の寂しさから道を踏み外し、親友が銃に撃たれて死亡したり、ガールフレンドを妊娠させたりと、さまざまな困難に遭遇。しかし再び叔母の助けを借りて教会に戻り、以後、ゴスペル界に新風を巻き起こし続けている。




1: ヒップホップ/モス・デフ
2: R&B ソウル/オーティス・レディング
3: モータウン/ダイアナ・ロス
4: ジャズ/マイルス・デイヴィス
5: ブルース/スリーピー・ジョン・エスティス
6: ゴスペル/カーク・フランクリン
7: 年表で見るブラックミュージックの歴史

U.S. Front Line No.168(2002/08/20号)掲載記事
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