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ヒップホップ
ブラックミュージック!!

アメリカン・ポップカルチャーにとって今や必要不可欠となったヒップホップ。ギャング、暴力、セックス、ファッション…その奥にあるアーバン・ブラック・スピリッツとは?


 1970年代の終わり頃、当時、荒廃を極めていたニューヨークのサウス・ブロンクスで、ラティーノと黒人の若者たちが一緒に遊んでいるうちに徐々に出来上がっていったのがヒップホップ・カルチャー。“初心者のため”と銘打っておきながら、いきなり込み入った話で申し訳ないけれど、ヒップホップとは音楽のいちジャンルではなく、現代の若者黒人カルチャーの総称とも言える奥の深いもの。厳密にはラップ、スクラッチ(ターンテーブル上のレコードを手で回す技)、ブレイクダンス、グラフィティ(スプレー塗料で描く絵)の4つを総称してヒップホップと呼ぶ。


 シュガーヒル・ギャングが79年にリリースした「ラッパーズ・デライト」はヒップホップ初の大ヒットとなり、それに続いてグランドマスター・フラッシュ、ランDMCなど多くのグループが、ニューヨークでの地元スターから全国区へと進出した。(後に彼らは“オールドスクール”と呼ばれるようになる)ヒップホップは瞬く間に全米に飛び火し、80年代中後期には西海岸からアイスT、N.W.A.(ドクター・ドレ、アイス・キューブ)など、本物のギャング上がりのラッパーが次々と登場。彼らのリリック(ラップの歌詞)は麻薬・暴力・セックスと、放送禁止の4文字言葉だらけ。外見もギャングそのもので、ビデオクリップには腰をクネらせて踊る半裸の女性と派手に飾り付けた高級車が登場。このスタイルは“ギャングスタ・ラップ”と呼ばれることとなった。一方でポップなラップも登場し、MCハマーは記録的なヒットを飛ばしたし、現在は大物俳優として活躍するウィル・スミスも、DJジャジー&ザ・フレッシュ・プリンスというポップ・ラップ・デュオの片割れとしてデビューしている。その後、ニューヨークとロスのヒップホップ・シーンに東西対決ムードが生まれ、96年に西の大物ラッパーの2パック、97年に東の大物ノトーリアスB.I.G.が何者かに殺されるという悲惨な事態にまで発展した。


 そんな過激な東西抗争は今ではすっかり沈静化しているものの、貧しい黒人コミュニティ、ゲットーでのストリート・ライフを活写するラップ・ソングは、いまだに差別と貧困から脱け出せないでいる全米の若い黒人たちの魂をわしづかみにしている。例えば92年には黒人青年をリンチした白人警官たちが無罪となったことが原因で、あのLA暴動が起きているし、ニューヨークでも警官による黒人への暴行や殺人事件が相次ぎ、その中のひとつであるルイマ事件は2002年7月現在も裁判が続いている有り様。こういった差別は貧困と直結しており、貧しい若者が大金を稼ぎたかったらギャングかラッパーかバスケ選手、という神話もいまだに根強い。つまり貧困層の黒人の若者にとってギャングスタ・ラッパーこそがアイドルなのだ。


 その反面、近年増えてきた黒人中流層や、ギャングスタ系に馴染めない文系(?)の若者たちがザ・ルーツ、モス・デフなどのインテリ系ラッパーを支持するという大きな流れもあり、ここからはラップとは似て異なる“ポエトリー・リーディング”(詩の朗読)のブームも静かにだが、起こっている。また南部諸州からもアウトキャスト、ナッピー・ルーツなどユニークなローカル色を持つグループが登場している。


 ヒップホップがファッションに与えた影響も計りしれない。例の、超ビッグサイズのジーンズやTシャツ、スニーカーなどがそうだ。絶大な人気を誇るラッパー兼プロデューサーのピー・ディディ(元パフ・ダディ)は自身のファッション・ブランド“ショーン・ジョン”で大成功を収めているし、デフジャム・レコードの総帥ラッセル・シモンズのファッション・ブランド“ファット・ファーム”も人気が高い。さらにシモンズは、最近では政治的な活動すら始めている。またラッパーたちの映画&テレビへの進出にも目を見張るものがあり、ウィル・スミス以外にもLLクールJ、アイスT、アイス・キューブ、スヌープ・ドッグなど、いずれもスクリーンでもすっかりお馴染みとなっている。


 ここまでくると、ヒップホップの影響力は当然ながら白人にも及ぶ。何不自由なく育ったはずの白人中流層のティーンエイジャーまでが、自分たちとは対局にある黒人文化を“クール!”と感じ、夢中になっているのだ。その結果、ヒットチャートにはヒップホップ及びヒップホップに影響を受けたR&Bがズラリと並び(白人も買っているからこそ、チャート上位に付ける)、またレッド・ホット・チリ・ペッパーズからブリトニー・スピアーズまで、ヒップホップを取り入れた白人のロック・バンド&ポップ・シンガーも多い。さらにエミネムという、黒人にも支持される白人ヒップホップ・スターまでもが遂に登場した。


 このように、今や黒人文化に留まらず、アメリカン・ポップ・カルチャー全般にとってなくてはならない存在となったヒップホップ。物心ついた瞬間からヒップホップに囲まれて育った現在30代以下の黒人は“ヒップホップ世代”と呼ばれており、あらゆる面に於いて、これからのアメリカ社会に大きな影響を及ぼしていくことは間違いない。ヒップホップ、あなどるべからず。




● モス・デフ ●

 ニューヨークのブルックリン出身のモス・デフは、高校卒業後に役者を目指し、一旦はテレビで人気黒人俳優ビル・コスビーなどと共演した後、ラッパーへと転向。98年にインディーズ・レーベルからブラックスター名義でアルバムを出し、以後、既成のラッパーとはひと味違うユニークなカルチャー系フレイバーを醸し出している。なんといっても社会的なメッセージを込めたリリックと、バラエティに富んだ音作りが最大のポイントだが、経営危機にあった地元ブルックリンの黒人書店ンキル・センターを買い取って経営したりもしている。


 昨年はHBO局のポエトリー・リーディング番組「デフ・ポエトリー」の司会を努め、ハリー・ベリーが黒人女優として初のアカデミー主演女優賞を獲得した映画「モンスターズ・ボール(邦題:チョコレート)」でも渋い演技を披露。さらにピューリッツァー賞受賞のブロードウェイ劇「トップドッグ・アンダードッグ」にも主演し、高い評価を得たばかり。ヒップホップの新しい流れを作り出しているアーティストだ。




1: ヒップホップ/モス・デフ
2: R&B ソウル/オーティス・レディング
3: モータウン/ダイアナ・ロス
4: ジャズ/マイルス・デイヴィス
5: ブルース/スリーピー・ジョン・エスティス
6: ゴスペル/カーク・フランクリン
7: 年表で見るブラックミュージックの歴史

U.S. Front Line No.168(2002/08/20号)掲載記事
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