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ワーナーブラザーズ
〜Warner Brothers〜
アメリカンブランド こぼれ話 #20


 アメリカが世界に誇る映画の都ハリウッド。その礎(いしずえ)を築いた老舗映画会社の多くが、ユダヤ系移民によって作られたものだということをご存知だろうか。ユニバーサル、パラマウント、コロンビア、ユナイテッドアーティスト、20世紀フォックス……今回はこれらの中から「ワーナーブラザーズ」にスポットを当てよう。

 1880年から1924年にかけて、ロシアと東欧諸国ではポグロム(ユダヤ系に対する迫害)が続き、数百万人ものユダヤ系がアメリカに逃れてきた。その多くは東部に落ち着き、低賃金の肉体労働に就いたという。

 ちょうどその頃、フランスではルミエール兄弟が映画の原形ともいうべき「シネマトグラフ」を、アメリカではエジソンが小さな穴から動画をのぞく「キネトスコープ」を発明、アメリカでも小さな映画館が続々と作られ始めていた。単純労働にあきたらない野心的なユダヤ系も、さっそく映画ビジネスに参入していった。

 しかし、アメリカにもユダヤ系への差別は存在した。東部でユダヤ系映画会社の締め出しが行われた結果、大陸を横断して南カリフォルニアに移動するユダヤ系映画会社が相次いだ。これが映画の都ハリウッド誕生の由来だ。

 ワーナーブラザーズ(以下、WB)も、貧しいポーランド系ユダヤ移民であったワーナー家の12人の子どものうち、ハリー、エイブ、サム、ジャックの4兄弟によって興された会社だ。ペンシルベニア州で開いた小さな映画館がビジネス参入の第一歩だったが、客席のイスは近所の葬儀場から借りたもので、葬儀のある時には返さなければならなかったという。

 それでも1923年に「ワーナーブラザーズ・スタジオ」として正式に設立し、ハリーとエイブは資金調達のために東部に留まったものの、サムとジャックは映画製作の現場を指揮するためにハリウッドへと旅立った。

 WB初のヒット作品は、シェパード犬が主人公のサイレント映画『名犬リンチンチン』だった。

 そして1927年、WBは一大転換期を迎えた。音入り映画「トーキー」の第一号として『ジャズ・シンガー』を発表。この作品は一世を風靡する大ヒットとなり、同社を映画界のトップランナーに押し上げた。

 『ジャズ・シンガー』は、ユダヤ教の詠唱歌手(*)である父の意に反してジャズ歌手を目指す少年の物語。少年はやがてミンストレルショー(*)のスターとなるが、父は息子を許すことができないまま、病によって息を引き取るというストーリー。この作品は、当時のユダヤ系アメリカ人の暮らしぶりを世に紹介するとともに、多くのユダヤ系スターを輩出するきっかけにもなった。

*ユダヤ教寺院でユダヤ教の祈りを詠唱する歌手、カンター

*白人が顔を黒く塗り、黒人になりすまして歌い踊るショー。後に黒人差別だとして廃止された

 1930年代になるとWBはアニメの製作も始め、『バッグスバニー』という人気キャラクターを生み出した。1940〜50年代には「フィルムノワール」と呼ばれる犯罪映画を何本もヒットさせた。代表作は名優ハンフリー・ボガート主演の『カサブランカ』(43)だ。55〜56年にかけてはジェームズ・ディーンの三作を製作。以後も『マイ・フェア・レディ』(64)、『ダーティハリー』(71)、『バットマン』(89)、『マディソン郡の橋』(95)などのヒット作を世に送り出している。

 現在、WBは「タイムワーナー」社の一部門「ワーナーブラザーズ・エンターテインメント」傘下となっており、『ハリー・ポッター』シリーズで多いに気を吐いている。


U.S. FrontLine2004年2/20号掲載
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