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コカ・コーラ(2)
〜Coca-Cola〜
アメリカンブランド こぼれ話 #17


 コカ・コーラは単なるソフトドリンクではなく、“リッチでポップなアメリカ”を象徴するブランドだ。赤字に白いスクリプト体で描かれたおなじみのロゴを見ると、アメリカ人ならノスタルジーと強い愛着、外国人ならアメリカへの憧れをかき立てられる。今回は、そもそもは19世紀末に頭痛薬として誕生した飲み物が、アメリカン・アイコンへと変貌する過程を追っていこう。

 1892年にコカ・コーラ社を設立した薬種業者エイサ・キャンドラーは、斬新な販促方法を編み出した。消費者にはコカ・コーラ(以下、コーク)の無料券を、当時コークの唯一の販売場所だったドラッグストアにはコークのロゴ入り時計やカレンダーなど、いわゆるノベルティグッズを配った。つまり、無料券を手にドラッグストアのソーダファウンテンにやってきた客は、コークのロゴに囲まれながら、生まれて初めてのコークを口にすることとなった。今ではごく当たり前となっている販促方法だが、当時としてはずいぶんと画期的な手法だった。この頃に作られたアンティークなデザインのコーク・グッズは大変貴重で、薬用の秤など、コレクターの間では数千ドルで取引されているものすらあるという。

 1899年には本格的にビン入りコークの販売を開始したが、当初はありふれた形のビンを使っていた。ちょうどその頃からコークの類似品が大量に出回り始め、コカ・コーラ社は対応策に悩まされることとなった。その打開策が「コントゥア(身体の線)」または「ホブルスカート(ひきずるようなスカート)」と呼ばれる、あのユニークな形のビンだ。外観によって偽物と区別してもらおうという戦術だったが、このビンはコークに「本物」のイメージを強烈に植え付け、期待以上の効果を上げた。

 こうしてコカ・コーラ社の基礎を築き上げたキャンドラーだが、1919年に会社を売却。その結果、新社主の息子であったロバート・ウッドラフが、その後約60年もの長きに渡って社の陣頭指揮を取ることとなった。このウッドラフこそが、コークをアメリカン・アイコンに仕立て上げた本人だ。

 1941年に第2次世界大戦が勃発すると、ウッドラフは「どれほどコストがかかろうとも、戦場の全兵士にコークを1本5セントで提供する」と熱烈愛国宣言し、広告に兵士も登場させた。これに応える形でアイゼンハワー連合国軍最高司令官が、コークの工場をヨーロッパ各地に建設する手はずを整えた。こうして米軍兵士のために政府の資金で建てられた工場は、戦後はヨーロッパにコークを定着させるという計算外の福音をもたらした。

 アメリカが繁栄の絶頂期を迎えた1950年代には広告キャンペーンもますます盛んになり、「キャデラック、ロックンロール、ハンバーガーにコーク」といった、自由を謳歌するアメリカン・ライフのイメージを世界中に行き渡らせた。

 それから半世紀。現在もコークの広告キャンペーンは若者をターゲットにしており、常に「クールでヒップ」なイメージを振りまいている。その一方でヘルシー指向の高まった現代、無果汁で糖分の多い炭酸飲料コークには「不健康な飲み物」というネガティブなレッテルも貼られてしまった。今年9月、ニューヨーク市は飲料メーカーのスナップル社と提携を結び、公立学校の自販機からコークを閉め出すことを発表したのだ。

 今後、コークは「クールでヒップ」なイメージを保ちつつ、ヘルシーとは言えないまでも、少なくとも「不健康」ではないことを強調していかなければならないだろう。常に時代を先取りしてきたコーク広告キャンペーンの、新たな動向に注目しよう。


U.S. FrontLine2003年11/20号掲載
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