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マックスウェルハウス
〜Maxwell House〜
アメリカンブランド こぼれ話 #15


 アメリカのスーパーマーケットの棚には、あらゆるブランドのコーヒー豆がぎっしりと並んでいる。中でも特に有名なのがマックスウェルコーヒーハウス。傾いた白いコーヒーカップからコーヒーのしずくが垂れているブランドマークと、「最後の一滴まで美味しい Good to the Last Drop」というキャッチフレーズは、昔から多くのアメリカ人に親しまれている。

 1873年、ケンタッキー州の農場で生まれ育った青年ジョエル・チークは、テネシー州ナッシュビルにある食品会社のコーヒー豆卸売り部門に職を得た。チークはオリジナルブレンドのコーヒー作りに精を出し、その甲斐あって、1892年にマックスウェルハウスという名の一流ホテルがオープンした際、チークのブレンドしたコーヒーがホテルのオリジナルブレンドとして採用された。

 このコーヒーは好評を博して『マックスウェルハウスコーヒー』と名付けられ、同ホテルに宿泊した数々の著名人に愛された。中でもセオドア・ルーズベルト大統領は、飲み終わった時に「最後の一滴まで美味しい」と絶賛した。1907年のことだった。

 この頃にはチークはすでにパートナーと共に独立しており、ルーズベルト大統領の言葉をキャッチフレーズとして使うことを思いついた。味の良さで評判を取っていたコーヒーに、いわば大統領のお墨付きが付いたことになり、マックスウェルハウスコーヒーは一気に全米に普及していった。以後、現在に至るまで、アメリカでもっとも愛されているコーヒー豆ブランドのひとつとなっている。

 1800年代半ばからの約100年間は、コーヒー豆産業の隆盛期だったと言えるだろう。この時期、マックスウェルハウスコーヒーをを含め、現在もコーヒー豆業界の大手であるフォルジャーズ、ヒルズブラザーズ、MJBが次々と創業。1901年には日系アメリカ人科学者が世界初のインスタントコーヒーを、2年後にはドイツのコーヒー豆輸入業者がカフェインレスコーヒー『サンカ』を開発。1920年代のアメリカでは禁酒法が施行されたため、人々はアルコールの代わりにコーヒーを大量に飲み、コーヒー業界は大いに潤った。禁酒法が解除された後もアメリカ国民にはコーヒーをたくさん飲む習慣が残り、1940年には世界のコーヒー豆流通量の実に70%がアメリカで消費されたという。

 こうしてアメリカのコーヒー豆小売り業界は永らく安泰であったが、1971年、シアトルで小さな異変が起こった。スターバックス第1号店の開店だ。以後、スターバックスは破竹の勢いで快進撃を続け、カフェラッテ、フラッペチーノなど、業界用語で“スペシャリティコーヒー”と呼ばれるコーヒーを人々の生活に定着させた。スペシャリティコーヒーは家庭では作りにくいために人々はコーヒーショップで楽しみ、その分、家庭でのコーヒー消費量が落ち始めたのだ。そこでコーヒー豆会社は対抗策として、フレイバー付きコーヒー豆、インスタントの粉末カプチーノなど、商品のバラエティを広げた。

 実は、前述の4大ブランドは、現在はいずれも独立企業ではなく、マックスウェルハウスコーヒーも全米最大の食品会社クラフト社の傘下となっている。大企業同志による買収劇の結果であり、そのシビアな販売戦略のひとつが『1ポンド缶』の消滅だ。かつてコーヒー豆は1ポンド(16オンス=約454グラム)入りの缶で販売されていたが、同じ売上高を保ちながら原価削減するために、価格は同じまま、徐々に分量が減らされていった。その結果、今では11〜12オンス入りが標準となっている。一流ホテルや大統領にまつわる優雅なエピソードでコーヒーが売れる時代は、すでに終わっているということなのだろう。


U.S. FrontLine2003年9/5号掲載
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