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バンドエイド
〜BAND-AID〜
アメリカンブランド こぼれ話 #14


 ちょっとした切り傷や靴ずれなどで誰もがお世話になるバンドエイドだが、その誕生のきっかけを生んだのは、料理のヘタなアメリカ人女性だった。

 バンドエイドの発売元ジョンソン&ジョンソン社は、1886年にニュージャージー州のロバート・W・ジョンソンが、ふたりの弟と共に興した会社。創業の理由は英国の外科医ジョセフ・リストナーの学説にある。リストナーは、手術自体の成功にもかかわらず術後に亡くなる患者が多いのは、医者の手術衣に付着している雑菌が切開部に入って化膿を起こすからだという説を唱えた。当時の医学界では眉唾モノとされていたこの説をジョンソンは信じ、殺菌・個別包装された手術衣を作り始めたのだ。

 手術衣で一応の成功を収めた同社は、当然のように医療用ガーゼなどにも事業を拡大した。後年、その材料であるコットンの買い付け要員として雇われたのが、若きアール・ディクソンだった。

 1920年、アールはジョセフィーンという名の女性と結婚した。ジョセフィーンは愛する夫のために毎晩せっせと料理をしたが、不器用で指を切ってばかり。アールは食事の前に妻の手当をすることが日課となってしまった。しかし指にガーゼを巻いて医療用テープで留めても、すぐに指から抜けてしまうし、妻は自分で手当ができない。そこでアールは、テープに小さくカットしたガーゼを貼り付けたものを作り置きした。これならジョセフィーンも片手で扱えた。

 アールはさっそくこのアイデアを社長のジョンソンに話し、翌21年に製品化した。といってもバンドエイド第1号は8cm×45cmものサイズで、ケガの大きさに合わせてハサミで切らなければならず、3,000ドルの売り上げにしかならなかったという。

 しかし24年に、最初から1枚ずつ切り離した、つまり現在のバンドエイドの原型となる製品を機械化によって大量生産し始めてからは売り上げが急増。さらに第二次世界大戦で米兵が使ったことから西側諸国に、その約40年後にはペレストロイカ(85年に施行された旧ソ連の改革政策)によって旧ソ連諸国・東欧にも広まった。

 その後は大小さまざまなサイズ、関節用の特殊な形、抗菌剤入り、セサミストリートなどのキャラクターが印刷された子ども向けまであらゆる種類が作られ、現在ドラッグストアの棚には常に10〜20種類ものバンドエイドが並んでいる。さらに昨年、リキッドタイプのバンドエイドもデビューした。透明な液体を患部に塗って乾かすと、傷口を保護する皮膜になるのだ。

 色にもバラエティがある。以前はピンクがかったベージュのみだったが、近年は“シーアsheer”と呼ばれる、一見、濃いベージュに見えるタイプに人気がある。これは透明な絆創膏に茶色の細かい網目模様が印刷されており、肌の色が濃い人が貼ってもそれほど目立たない。また、なぜかあまり人気はないが、透明タイプの“クリア”もある。ちなみに同社では製造していないが、黒人用にコゲ茶や黒の製品を作っているメーカーもある。

 ところで英語にはBand-Aid solution(バンドエイド的解決法)、 Band-Aid approach(バンドエイド的試み)という言い回しがある。バンドエイドが応急処置用であることから、いずれも“その場凌ぎ”というネガティブな意味で使われている。とはいえ、これは32年の歴史を持ち、累積生産枚数1,000億枚突破という定番商品ならではのこと。一種の栄誉と言えるだろう。


U.S. FrontLine2003年7/5号掲載
禁転載




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