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ダンキンドーナツ
〜Dunkin Donuts〜
アメリカンブランド こぼれ話 #13


 世界中31ヶ国に5,300店舗を展開し、毎日200万人に630万個ものドーナツを販売しているのが、世界最大のドーナツ・チェーン、ダンキンドーナツだ。

  ダンキンドーナツの創始者は、1916年にマサチューセッツ州の貧しいユダヤ系の家庭に生まれたビル・ローゼンバーグ。1930年に突然世界を襲った大恐慌のために8年生で学校を辞めたローゼンバーグは、食料品店の配達係、馬車による牛乳配達、電報配達などの職を転々としながら、健気に家計を支えた。

 少年時代から才気煥発だったローゼンバーグは数々の逸話を残している。例えば猛暑のある日、車の後部座席に大きな氷の塊を乗せてストリートを流し、氷ひとカケラ10セントで販売。一日で174ドルを売り上げたというが、これは恐慌時代の平均年収に匹敵する金額だ。

 後に第二次世界大戦に従軍したローゼンバーグは、終戦後に1,500ドルの戦争債を売り、工場労働者のためのサンドイッチ&コーヒーの店を開いた。店を構えるよりも工場までサンドイッチを売りに行く方が効率だと考えたローゼンバーグは、小型トラックの荷台の片側を上方に振り開けて商品を対面販売する“キャンティーン・トラック”を考案。このビジネスは大成功し、約200台のトラックを有するまでになった。

 ところがある日、ローゼンバーグは売り上げの40%がコーヒーとドーナツで占められていることに気付き、ドーナツショップも展開させることを思い立った。当時、一般的なドーナツショップがせいぜい4種類のドーナツしか売っていなかったことを見たローゼンバーグは、毎週違った種類のドーナツを販売する“オープンケトル”という店を1948年にオープン。2年後には現在のダンキンドーナツに改名している。この店名は、ドーナツをコーヒーに浸して(Dunkin')食べる、アメリカ人の習慣に由来している。

 ローゼンバーグはこのダンキンドーナツも大成功させたが、その理由はフランチャイズ制度を大々的に取り入れたことだった。1966年、増える一方のフランチャイズ店のクオリティを保つために、ローゼンバーグは“ダンキンドーナツ大学”を作った。現在も新たに店を開こうとするオーナーは、ここで5週間の訓練を受けなければならない。

 ところで、東海岸に暮らしていると、ダンキンドーナツの店員の多くがインド系か、パキスタン系だということに気付く。特にシカゴ・エリアでは、フランチャイズ・オーナーの実に90%が南アジア系だ。

 ことの始まりは、1970年代にインドからやってきたひとりの移民アムリット・パタル氏。当時まだ20代の若さだったパタル氏はシカゴでダンキンドーナツの店を開いた。商才のあったパタル氏は次々と新店を開き、今では17店舗を構えている。店員にはインド系、パキスタン系移民を雇い、やる気のある者には独立して自身のダンキンドーナツ・ショップを開くように勧める。独立したオーナーはパタル氏と同じようにインド系、パキスタン系移民を雇い、独立を促す。

 祖国インドとパキスタンが犬猿の仲であるにもかかわらず、アメリカに移住した両国の人々は助け合って南アジア系社会を作り上げている。ユダヤ系であるダンキンドーナツの創始者ローゼンバーグは、図らずもその大きなサポーターとなったのだ。昨年9月、ビル・ローゼンバーグは86歳でこの世を去った。


U.S. FrontLine2003年4/20号掲載
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