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スコッチテープ
〜Scotch Tape〜
アメリカンブランド こぼれ話 #11


 アメリカはもちろん、今や世界中の家庭やオフィスで見かけるスコッチテープだが、オリジナル製品が世に出たのは、なんと72年も昔のこと。開発したのは、元ミュージシャンの若き科学者だった。

 1902年、ミネソタ州の5人のビジネスマンが、Minnesota Mining and Manufacturing Company(ミネソタ採鉱製造会社)という会社を興した。社名にMで始まる言葉が3つあることから「3M」と呼ばれることとなったこの会社は、当初の予定ではミネソタの鉱山で鋼玉石を採掘し、それを原料にサンドペーパーを作るはずだった。ところが、いざ発掘を始めてみると採れるのは役に立たない石ばかりで、3Mは創立早々にして倒産の危機にさらされた。

 しかし、くじけることなく3Mは他社から購入した鉱物でサンドペーパーの生産を開始。これでなんとか軌道に乗った同社はラボラトリー(製品開発研究所)を作り、以後、新製品の開発に心血を注いでいった。このラボに1923年に採用されたのが、当時まだ21歳だったリチャード・ドリュー。大学中退後はダンス・バンドでバンジョーを弾きながら通信教育でエンジニアリングを学んでいたドリューは、3Mの技術者募集の求人広告に応募。同社の採用基準を満たしてはいなかったものの、その熱意を買われて採用されたという。

 当時、アメリカではジャズが大流行し、派手なファッションに身を包んだモダンガール&モダンボーイ(モガ&モボ)がちまたに溢れていた。車もツートーン・カラーの派手なデザインがもてはやされており、ドリューも新車のパッカードをツートーンにするべく、塗装工場に持ち込んだ。

 ところが、まだマスキングテープの存在しなかった時代ゆえ、2色の塗料をはみ出させずに塗り分けることはほとんど不可能。自分の車の仕上がりのひどさに驚いたドリューは、早速マスキングテープの試作品を作った。しかし粘着力の弱かったテープはすぐに車のボディから剥がれ落ち、それにイライラした工場主がドリューに怒鳴った。
 「このテープをお前のボスのスコッチ(スコットランド野郎)に突っ返してこい!」
 なんとも人種差別的なセリフではあったが、それ以来、なぜか同社のテープ製品は“スコッチテープ”と呼ばれるようになり、後に正式なブランド名として採用されることとなった。

 マスキングテープに続いて、ドリューはセロファンに接着剤を塗布したスコッチセルローステープを1930年に開発した。いわゆるセロテープの誕生だ。当時、食品の梱包材として防水性のあるセロファンが人気を集めていたが、それを止めるのに適したテープがなかった。そこでドリューは、それならテープも同じく防水性のあるセロファンで作ればいいと思いついたのだった。

 このように業務用として開発されたテープだが、いったん売り出されると瞬く間に一般家庭にも普及した。破れた本や書類の補修に始まり、果ては農夫がひび割れた卵のカラに貼ったりと、開発時には予想もしなかった使い道が次々と生み出された。

 それから約30年後の1961年に、3Mはテープ素材と接着剤を改良し、貼る前は半透明だが貼ると透明になり、書き込みもできるテープを売り出した。これが現在、一般にスコッチテープと呼ばれて普及している“スコッチマジックテープ”である。

 大学中退の青年の功績によって大きく成長した3Mは、今年で創立101周年。今や研磨材とオフィス用品に留まらず、医療機器やエレクトロニクスにまで進出し、年間の世界総売上げは、なんと160億ドルとなっている。


U.S. FrontLine2003年2/20号掲載
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