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レブロン
〜Revlon〜
アメリカンブランド こぼれ話 #07

 アメリカの化粧品メーカーには、ふたつの業態がある。デパートなどで売られている高級ブランドと、ドラッグストアの棚に並べられている、手ごろな価格の大衆市場向けブランド。レブロンは後者の代表的なメーカーだ。だが、レブロンは現在、思わぬ苦境に立たされている。

 1932年にチャールズとジョセフのレブソン兄弟と、科学者のチャールズ・ラックマンが興したのがレブロン社。社名は兄弟の姓Revsonの"s"をLachmanの"L"に置き換えてRevlonとしたもの。3人は当時としては画期的に長持ちするマニキュアを開発し、そのためにレブロンは創立からたった6年で売上げ数百万ドルの企業に急成長した。

 1950年代になるとレブロンは、年に2回、新色のマニキュアと口紅をセットにし、それをシーズン最新のファッションと共にプロモーションするという斬新な宣伝法を編み出した。55年には株式上場を果たし、60代には『アメリカン・ルック』というキャッチ・フレーズを世界中に発信し始め、そして70年代には年間総売上げ10億ドルを超えるまでになった。

 ところが80年代に入ると経営状態に問題が生じ、レブロンは85年に他社に売却されてしまう。しかしその後に開発された、コーヒーカップなどに色が移らない、いわゆる“落ちない口紅”の大ヒットにより、96年には再度の株式上場を果たしている。

 この時期に“スポークス・モデル”としてレブロンに大いに貢献したのが、スーパーモデルのシンディ・クロフォードだった。スポークス・モデルとは単にCMに登場するだけではなく、ライフスタイルそのものがレブロンを体現している、そんなモデルのことを指している。89年にレブロンと契約したシンディは当時23歳。本業のファッション・モデルとして以外にも、大ヒットしたワークアウト・ビデオの発売、俳優リチャード・ギアとの結婚離婚などで話題を振りまき、90年代のレブロンの商品は、シンディを使った広告によって売れに売れた。

 ところが90年代も終わりに近づいてくるとレブロンはマイノリティ女性へのアピールの必要性を感じるようになり、黒人女優ハリー・ベリーを起用、さらに2000年にはテレビドラマ「アリー・マイ・ラブ」で人気者となった中国系女優ルーシー・リューをも採用した。そして2000年末、レブロンは更なる変化を求め、11年間もの長期にわたって同社の“顔”であったシンディとの契約をとうとう打ち切ってしまった。

 その後、レブロンは「セレブを使うのはもう古い」として無名のモデルを使ったものの売上げは上がらず、急遽、映画「ブギーナイト」「ハニバル」などで知られる女優ジュリアン・ムーアを抜擢した。しかしジュリアン・ムーアは中高年向け商品のCMに登場しているだけで、かつてのシンディのようなスポークス・モデルとしての役目は果たしていない。そして2001年度の世界総売上げは、前年度を9.1%下回る13億210万ドルとなった。

 そんな中、今年3月のアカデミー賞でハリー・ベリーが黒人初の主演女優賞を取り、大きな話題となった。同社はさっそくハリー・ベリーをテレビCMなどに登場させたが、それも受賞直後だけのことだった。この場当たり的な広告は効を成さなかったと見え、5月に発表された2002年度四半期の世界総売上げも前年度同期の9.3%減となっている。レブロンには今、長期展望に基づいた、真の意味での広告改革が求められているようだ。

U.S. FrontLine 2001年6月号より転載




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