68年、当時26歳のクラインは幼なじみと一緒にコート会社を興す。会社は成功し、クラインは70年代には女性用カジュアル・ウェアを手掛け始めた。以後、メイン・ブランドの「カルバン・クライン」と、カジュアル路線の「ck」ブランドを立ち上げ、洋服以外にも香水、下着、時計など次々と事業を拡大し、そのたびにブームを巻き起こしてきた。 80年には、当時まだ15歳だった女優のブルック・シールズを「カルバン・クライン・ジーンズ」の広告に起用。タイトなジーンズをはいてセクシーなポーズを取るシールズと、「私とカルバン(のジーンズ)の間には何もない」という挑発的なコピーは、良識派の人々の猛反発を買った。これが現在にまで続く、カルバン・クラインの広告に関する論争の幕開けとなったのである。 以後も、83年にはタイムズ・スクエアに、ブリーフだけを身にまとったギリシャ彫刻のような男性モデルの巨大ポスターを掲げ、ニューヨーカーの度肝を抜いた。
さらに99年には、パンツだけを履いて遊ぶ子どもの写真を幼児用下着の広告として使ったところ、今度は当時のニューヨーク市長ジュリアーニや、トークショー・ホストのロージー・オドネルまでが「これは幼児ポルノだ」と激しく抗議。その結果、タイムズ・スクエアのポスターはわずか1日ではがされた。 しかしカルバン・クラインの広告写真は、単にショッキングなだけではなく、高い質を維持し、その時々の時代性を確実に捉えている。80年代からカルバン・クラインの広告写真を撮り続けてきたブルース・ウェバーが、今では“ファッション写真をアートの域に引き上げたカメラマン”として知られているのはそのためだ。 しかも過激な写真を使った一連の広告キャンペーンは、実はすべてカルバン・クライン一流の明晰なビジネス・プランに添って展開されてきた。例の、ウエストのゴムに「Calvin
Klein」のロゴが入ったブリーフが発売される以前は、アメリカでは男性用下着は実用品扱いであり、3枚1パックで10ドル程度の商品が一般的だった。その未開拓市場をカルバン・クラインは見事に切り開いたということになる。
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