NYBCT

1999.6.2

アメリカ黒人と在米アフリカ人
〜彼らが掲げるリスペクト&ユニティとは〜

African-Americans and African Immigrants


ニューヨークでは相変わらず警官によるマイノリティ虐待事件が続いている。


1999年2月4日、アフリカ/ギニア出身のアマドゥ・ディアロ氏(当時22歳)はレイプ犯に間違われ、4人の警官から実に41発の弾丸を受けて亡くなった。あらゆる場面での逮捕劇に慣れているはずの覆面捜査班による、たった1人の、しかも武器を持たない人間への41発もの拳銃乱射。常軌を逸している。


だが、私の喉元に今つかえているのは「アフリカン・アメリカン」主導の、事件に対する抗議運動の在り方だ。


ニューヨークには200万人近い黒人が暮らしているが、その全員がいわゆるアフリカン・アメリカンというわけではない。カリブ海諸国やアフリカからの移民も数多くいる。ちなみに既に数世代に渡って米国に住み続けているアフリカン・アメリカンは、そのメンタリティにおいては完全に「アメリカ人」だが、対してアフリカからの移民たちはあくまで「アフリカ人」なのである。


ひとたび今回のような黒人虐待事件が起きると、すべての黒人コミュニティが一体となって抗議行動を起こすが、やはり米国の黒人社会においてはアフリカン・アメリカンが圧倒的に多数派であり、また永年の公民権運動で培われたプロテスト運動のノウハウを持っていることからも、彼らがそのリーダーシップを取ることとなる。今回も抗議運動の表に立ち、マスコミにも度々登場しているのは、ニューヨーク・アフリカン・アメリカン・コミュニティのリーダーたちだ。


その大胆かつ派手な言動で知られるアル・シャープトン師は事件後、頻繁に抗議デモを行い、その際にジェシ・ジャクソン師(ユーゴ紛争で捕虜となった米兵の釈放交渉も行った黒人指導者)、女優のスーザン・サランドン氏といった多くの著名人が参加。また殺された青年の両親と共に米国内16ヵ所をまわる抗議ツアーを敢行し、両親とクリントン大統領との会見を希望。一方、同じくハーレムを拠点とする黒人指導者でありながらシャープトン師とは対立関係にあるカルヴィン・バッツ師は、事件とは無関係な場所にある商店街ボイコットを行ったり、その強硬な政策がマイノリティの人権を無視しているとして多くの黒人から批判されているニューヨーク市長ルドルフ・ジュリアーニ氏を教会での「和解ミサ」で抱擁してみせたりしている。これに対してシャープトン師は激しい非難を浴びせ、また一般市民からも売名行為だとの声が出ている。


アメリカに於いて黒人というマイノリティの中のさらに少数派であるアフリカ人は、今回のような事件が起こってもその組織力の弱さ(ひとくちにアフリカと言っても国の数は多く、言葉も違う)から大々的な行動は起こしにくい。さらに不法滞在者ともなれば万が一の逮捕、強制送還が怖くて抗議デモに参加することすらできない。そんな彼らを尻目に「アメリカの黒人」が派手な抗議パフォーマンス合戦を日々繰り広げ、アフリカ人自身はただテレビや新聞でそれを眺めるだけだ。シャープトン師の事務所の広報マンは、何人ものアフリカ人が抗議運動に参加していると主張したが、その際に「彼ら(の参加)は助けになっている」と付け足した。あくまで自分たちが主役だと考えていることを表す発言だ。


勿論、アフリカン・アメリカン主導による強力な運動がアフリカ人やカリビアンも含めた全黒人の地位向上に大きく役立っていることは事実だ。だが後続の黒人移民がこれだけ増えた今、彼らは自分たちが米国黒人社会のマジョリティであることを改めて自覚し、他国からやって来た黒人たちの立場を尊重しつつ、協調、共存の道を探らねばならない。他のマイノリティ・グループを助けこそすれ、その悲劇を自身の権利拡張や自己宣伝に使ってはならないのだ。


現在、ロウカスのブラック・スターを中心にバスタ・ライムス、デ・ラ・ソウル他の豪華メンバーが集い、警察暴力に抗議するためのチャリティ・シングル「Hip-Hop For Respect」の制作が進行中だが、今のところアフリカ人ミュージシャンの参加は予定されていないとのこと。ディアロ氏の死がきっかけの企画というのなら、在ニューヨーク・アフリカ人の参加は必須ではないだろうか。当事者置き去りの善意は何も生み出しはしない。真の意味での「リスペクト」を今一度、考えるべき時が来ている。

ミュージック・マガジン1999 年6月号より転載




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