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1999.8.21

ブルックリンのジャマイカ人は
韓国人の林檎で孤独を癒す
詩と韻
A Jamaican Poet in Brooklyn Finds A Solace on
Apples in A Korean Grocery Store
〜Poetry and Rhymes〜

詩。なんか、とっつきにくいジャンルではある。詩人。多分、ちょっと変人?
まぁ、そういう場合もあるけれど。 
アメリカでは詩は結構、人々のあいだに定着している文化だ。子供は学校で詩の暗唱をさせられるし、有名人のスピーチにも度々、詩からの引用が聞かれる。ポエトリー・カフェといって詩人がステージで詩を朗読するクラブもあるし(つまりライヴハウスのポエトリー・バージョン)、またMTV風に、詩の朗読の背景にセンスのある映像と音楽を付けたビデオクリップも作られている。ついでにラップも詩の一種と言えるし。
 
ニューヨークにいた頃、小説家の友人が、彼の友人が出演する詩の朗読会に連れていってくれたことがある。実は最初、行くのがためらわれた。とても興味がありはしたけれど、詩とはいかんせん「言葉」である。しかも時として難解で、英語アマチュアの私に聞き取れるはずもない。でもまぁ、何事もものは試しだと思い直し、とにかく行ってみた。
そのイベントはグリニッジヴィレッジの、なんと葬儀屋の一室で行われていた。セミプロからアマチュアの詩人達がかわるがわる壇上に立って詩を詠み上げていく。普段は故人を讚えるスピーチやお悔やみの言葉が述べられているステージである。アメリカ人は自己主張をためらわない。彼らは全員、詩人であるが、同時にパフォーマーでもある。なんのてらいもなく、ごく当たり前に自分の詩を詠む。ごく淡々と。しかしながら作者ならではの感情がそこには込められていて、だからこそ全ての言葉が理解できなくとも、不思議と胸に響くものがあった。やはり物事は全て試してみるべきである。来て良かった。(しみじみ)
とは言え、朗読が終わってからの軽いディスカッションには参加できるはずもなく、誰かのジョーク(詩人だけにハイブロウなんだろうけれど)にも笑えないのは私だけ。予想していたとはいえ、ちょっぴり淋しい思いもした一夜だった。
 
 
ところで、なぜアメリカでは詩が市民権を得ているのか。文学史に詳しいわけではないので本当のところは判らないけれど、ひとつ言えることは、英語という言語の持つリズムがそのポイントだということ。英語は韻を踏みやすいし、リズムに乗って一気にワン・センテンスを読むことが出来る。友人によると最近の詩人はより自由な作風を好んで韻をあまり踏まなくなっているらしいが、それでもそこには、まだある種のリズムが残っている。


DILLY DALLY(ディリー・ダリー)
 
De Korean polish him apples dem clean
(ダ・コリアン・ポリッシュ・ヒム・アッポーズ・デム・クリーン)
and arrange dem in stack of red, gold, and green.
(アンド・アレンジ・デム・イン・スタック・オブ・レッド・ゴールド・アンド・グリーン)
Say him want Rasta to feel welcome.
(セイ・ヒム・ウォント・ラスタ・トゥ・フィール・ウェルカム)
Seen?(シーン)


 
訳:韓国人の八百屋はりんごをぴかぴかに磨いて、それを赤、黄、緑と色ごとにきちんと積み上げる。八百屋に聞いてみろよ、ラスタマンを歓迎してるのかって。
 
注1:ニューヨークには韓国人が経営する24時間営業の食料品屋が多く、そのほとんどが店先に果物を並べている。
注2:赤黄緑はラスタのシンボルカラー。
注3:一部の単語、文法はジャマイカン英語で書かれている。
 
これはブルックリン在住のジャマイカ系詩人、エヴァートン・シルヴェスターの「ディリー・ダリー」という詩の一部。マイノリティとしてニューヨークに暮らすことの疎外感を表した作品で、“ぐずぐずする”という意味のタイトルも含めて詩全体ではかなり韻を踏んでいるが、この部分には「クリーン」と「グリーン」以外に韻はない。それでも声に出して読めば、そのリズム感に気づくはず。
(本人出演のビデオクリップがある。彼も参加しているブルックリン・ファンク・エッセンシャルズというバンドのレゲエ・ナンバーをバックにこの詩を朗読しているが、声質も含めて超クール。ちなみにこのドレッドロック詩人の本職は教師らしい)
 
一方ラップは、とにもかくにも声に出してパフォーマンスするための“詩”であるから、韻を踏みまくっている。
 
次はキュートでストリートワイズなヒップホップ・ディーヴァ、ローリン・ヒルの「ロスト・ワンズ」冒頭の一節。


 
It's funny how money change a situation
(イッツ・ファニー・ハウ・マネー・チェンジ・ア・シチュエーション)
Miscommunication leads to complication
(ミスコミュニケーション・リーズ・トゥ・コンプリケーション)


 
「お金がどれだけ状況を変えてしまうかってことは、ほんとにもう、おかしいほど。コミュニケーション不足は物事をやっかいにしてしまうし」と生真面目なローリンちゃんならではの詞だけれど、「シチュエーション」「ミスコミュニケーション」「コンプリケーション」と非常に判りやすく韻を踏んでくれていて、これなら誰でも覚えられる。
 
で、我が日本語を振り返ってみると、悲しいかなこれが非常に韻を踏みにくい。もちろん独自の美しさがあって、「こんな繊細な言い回し、英語にはないだろう」とアメリカ人に自慢したくなることも再々だけれど、やはり友人に指摘されたとおり、音的には“カクカク”していて、暗記もしづらい。
 
だからこそ俳句という形態が出来上がったのかなと思う。さすがの日本語も五七五にしてしまえば、口に乗せやすいということでしょう。ところが近年、日本人苦肉の策である俳句に憧れるアメリカ人が出てきたのである。英語俳句。人間とはまったくもって無いものねだりの動物だ。好きなだけ韻の踏める君たちがわざわざ五七五に挑戦することはないんだよと言いたいところだが、出来上がった英語俳句を見るとなんだかその苦労が偲ばれて、無下にあしらうこともできない感じ。


 
Sunlight shines red(サンライト・シャインズ・レッド)
through my father's thumb(スルー・マイ・ファーザーズ・サム)
on the steering wheel(オン・ザ・スティアリング・ウィール)


 
訳:車のハンドルを握っている父の親指を夕陽が赤く染める
 
なんだか健気。“わびさび”までちゃんと勉強してるのがよく判って。
 
ということは日本語ラップをアメリカ人に聞かせたら、やっぱり「気持ちはわかるけれど、でも、とほほ、なんだよね」とか言われてしまうのだろうか。



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