NYBCT

2005/08/15


ブレット・イン・ザ・フッド
Bullets in the Hood/Terrence Fisher + Daniel Howard
映画に観るゲットーのリアリティ(2)








 「フッド hood」とは、そもそもは「近所 neighborhood」から派生した言葉だが、ゲットーを意味するスラングとなっている。このドキュメンタリー作品『ブレット・イン・ザ・フッド(ゲットーの銃弾)』はタイトル通り、ゲットーで実際に起きた銃撃事件をテーマにしている。



 ニューヨークのゲットーといえば、いわずもがなハーレムが有名。しかしニューヨークには他にも無数のゲットーがある。現在、ニューヨーカーにとって最もゲットーなエリアは、ブルックリン区のイーストニューヨークという地区だ。それに次ぐのが、この映画の舞台である、やはりブルックリン区のベッドフォードスタイブサント、通称ベッドスタイかもしれない。



 ハーレムはニューヨークに多数ある黒人地区の中では、もっとも歴史があり、しかもマンハッタンの一部なので交通の便がよい。だから観光名所として、治安を心配しながらもたくさんの観光客がやってくる。つまり、観光客の落とす金(食事代、コンサート代、みやげもの代)が地域活性化につながっているラッキーな例なのだ。



 ところがイーストニューヨークやベッドスタイにはアポロ劇場があるわけでも、コットンクラブがあるわけでもない。ゆえに、これらのエリアはハーレムよりもさらに厳しい状況にあるといえる。








 2004年1月24日。ベッドスタイにあるプロジェクト(低所得者用の公営アパート)で、19歳の黒人の若者ティモシー・スタンズバリーが白人警官に射殺された。



 ティモシーはそのプロジェクトの住人だった。同じプロジェクトに友人も住んでおり、その夜は友人宅でパーティが開かれていた。この建物は内部が2つに区切られていて、友人宅へ行くにはいったん1階入り口から出て、別の入り口から入り直し、階段を昇らなければならない。屋上にも2つある出入り口を使う方が近道なのだった。


 ティモシーと2人の友人は屋上に出るためにドアを開けた。その瞬間に、ドアの反対側、つまり屋上にいて、やはりドアを開けようとしていた警官がいきなりティモシーを撃った。警告を発することはなく、出合い頭に撃ったのだ。



 プロジェクトの屋上はドラッグディーラーが取引に使うことが多く、警官が定期的にパトロールをしている。しかし、ティモシーも2人の友人もドラッグディーラーではなく、友人の家でのパーティを盛り上げるためのCDを抱えた、ごく普通の若者だった。









 この時、ティモシーと一緒にいた友人テレンス・フィッシャーは、ドキュメンタリー映画を作っている最中だった。メディア制作を通して若者の成功をサポートするDCTVというプロダクションがマンハッタンにあり、テレンスはDCTVに参加していた。



 テレンスは「その時点で7人の友人が銃で亡くなっていた」「そんな事態を止めるためにドキュメンタリーを作っていた」という。ところが作品を作っている折りも折り、自分の目の前で親友のティモシーが8人目の犠牲者となったのだ。テレンスは銃声を聞いた瞬間、撃たれたのは自分かもしれないと思い、手で胴体を探ったと言う。そして今、思うことは、「次の犠牲者は自分かもしれない」。



 テレンスは事件後、悲しみにくれる家族や、追悼のキャンドルライトを灯すコミュニティの住人たち、警察への抗議運動などを撮影する。生前のティモシーがふざけてラップするシーンもあり、観る者の胸に迫る。



 アマチュアが作った作品なので技術的には拙い部分もあるが、テーマの重さと、事件現場にいた者だけが表現し得る痛々しさが、多くの人間に衝撃を与えた。今年1月のサンダンス・フィルム・フェスティバルで大きく評価され、4月のトライベッカ・フィルム・フェステバルでも急遽、上映が決まったのだった。








 トライベッカでの上映当日、監督であるテレンスと観客とのQ&Aがあった。観客には白人が多く、彼らの質問に対してテレンスは、ぼそぼそとつぶやくように答えていた。



 「あなたのコミュニティでは、若者のためのプログラムなど、あるのですか?」
 「えーと……、あー……、学童保育とか、▲▲とか●●みたいなプログラムとか、あります」(小声で聞こえなかったのと、4月のことなので、私も詳細を忘れてしまった)



 なんとなく両者がコミュニケートできていないように思えた。多くの観客が作品の内容にショックを受けてはいたものの、ゲットーを知らない者には想像のできない世界。それがマンハッタンからたった30分の場所であっても。



 「パート1」に書いた『ライカーズ・ハイ』も、4月に開催されたこのトライベッカ・フィルム・フェスティバルで上映されたのだが、私は他に予定があり、見逃してしまった。だから7月に行われたラティーノ・フィルム・フェスティバルで観たのだった。



 トライベッカでの高評価のために、ラティーノ・フィルム・フェスでの『ライカーズ・ハイ』はほぼ満席だった。白人客も多かったが、やはりラティーノが多かった。そのためだろう、上映後のQ&Aではトライベッカで感じたようなコミュニケーションの欠落は感じなかった。



 同じラティーノといえども、フィルム・フェスでこういったテーマの映画を観るのは高等教育を受けていたり、または社会意識の高い者である場合が多い。それでもラティーノである以上、ラティーノ・コミュニティや黒人コミュニティで起こっていることを知っている。



 こう書くと、人種やエスニックの違いが相互理解を妨げているように聞こえるかもしれない。しかし、異なるコミュニティに住む者同士を隔てているのは、実は経済格差だ。



 そもそもは人種差別が存在するがゆえに黒人とラティーノは貧しいのだが、今では貧しさの方が人種そのものよりも深刻な問題となっている。貧しさが教育の欠如を生み、教育の欠如が失業を招き、それが犯罪を生む。








 先月、やはりブルックリンのプロジェクトで撃ち殺された黒人青年がいる。このキーショウン・スリーリー(24歳)は、持って生まれたアートの才能を使い、なんとかプロジェクトから抜け出そうと試みたものの挫折。プロジェクトの友人に会いに戻ったところを銃撃事件に巻き込まれてしまったのだ。



 キーショウンが生前に描いたアンチ銃のポスターがある。





こんな風に思うんだけど、オレ、もし仕事を見つけられなかったら、
そうしたら一文無しになって、ネガティブに考え始めるんだろうな、
犯罪に手を出し始めて、だから、そもそも、
それで刑務所に入れらてしまったんだな







 ティモシー・スタンズバリーが射殺されたプロジェクトに面した道路が先日、『ティモシー・スタンズバリー通り』と改名された。コミュニティの住人が市側に陳情した成果だ。



 ティモシーの名を冠した道路標識のお披露目の日、ティモシーの母親は、息子を射殺した警官が無罪となったことに憤っていた。パトロールや捜査中の警官が誤って無罪の人間を撃ち殺した場合、「職務中の不幸な事故」として扱われ、有罪になることはほとんどない。



 母親は言う。「ティモシーはドラッグディーラーでも、犯罪者でもなかった。マクドナルドで働き、収入を得ることを誇りにしていた」。



 大卒ではない者が就ける仕事は、マクドナルも含めたサービス業だ。マクドナルドの時給は今でも7〜8ドルだろう。1日8時間働いても64ドル。週休2日が当たり前のアメリカだが、がんばって週6日働いても64ドル×25日=月収1600ドル。ニューヨークは税率が高く、税引き後に手元に残るのは1200ドル程度ではないだろうか。仮に家賃を500ドル、公共料金や電話代の合計を200ドルとすれば、残りは500ドル。これではまともな生活はできない。



 ザ・ルーツの『スター』という曲のビデオクリップに、ハーレムで撮影されたこんなシーンがある。ギャングを廃業し、賃金の安いファストフード店で懸命に働く若い男性を、他のギャングがあざ笑う。以前のぜいたくな暮らしが懐かしく、空しい思いがよぎるものの、アパートに帰った男性は生まれたばかりの赤ん坊との幸福なひとときを味わい、「これがオレの人生だ」と語る。

※『スター』は okayplayer.com の「VIDEOS」のコーナーで観ることができます



 ティモシーの母親が言わんとしていたのは、このことだ。
 犯罪に手を出して一時的にリッチになっても、いずれは刑務所行きとなり、家族も離れ離れとなってしまう。給料は少なくとも、真面目に働いていた息子ティモシーは立派だ。その息子が理由もなく警官に殺されたというのに、警官は罰せられることもない。この不条理は一体?



 しかし希望もある。テレンス・フィッシャーと共にこの『ブレット・イン・ザ・フッド』を作ったダニエル・ハワードは現在、カリフォルニアの大学に在学中。テレンスはこれからもフィルム制作を続けていくと言う。



パート1『ライカーズ・ハイ』


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