NYBCT

2005/08/15


ライカーズ・ハイ
Rikers High/Victor Buhler
映画に観るゲットーのリアリティ(1)



 『ライカーズ・ハイ』とはライカーズ・ハイスクール、つまりライカーズ刑務所内高校のこと。


 ニューヨーク市のブロンクス区とクイーンズ区の間を流れるイーストリバーには、ライカーズ島という小さな島が浮かんでいる。この島は全島が刑務所となっており、ニューヨーカーなら誰でもライカーズ刑務所の存在は知っている。しかし、実際に島がどこにあるのかを知っている者は少ない。例えば、交通局が作っている地下鉄マップでも、島のある場所には白い四角形があり、地図の凡例が書きこまれていて、島の存在はかき消されてしまっている。


 このライカーズ刑務所、厳密にいうと刑務所ではなく留置所なのだが、ニューヨーク市内で逮捕された者はとりあえず、ここに放り込まれる。


 地下鉄の不正乗車程度の微罪から、ドラッグの密売や殺人といった重罪に至るまで、ライカーズにはあらゆる罪を犯した約14,000人が詰め込まれている。そのうち約2,000人が18歳以下で、彼らは刑務所内の高校、通称ライカーズ・ハイに通うことを義務付けられている。


 この映画は、そのライカーズ・ハイの教室にカメラを持ち込んで授業風景を撮影し、特に3人の少年をフィーチャーしてインタビューを行ったドキュメンタリー作品。






 『ライカーズ・ハイ』は、ニューヨークのゲットーに暮らすマイノリティ少年たちが抱えている問題を観る者に突きつける。ライカーズに収監されている者の、実に95%が黒人とラティーノなのだ。


 ウィリアムズ・サンチャゴ(18歳)は12歳の頃から軽犯罪によるライカーズ入所と出所を繰り返しており、ライカーズの外に4ヶ月以上いたことはないという。


 ラップの才能があり、独特のユーモラスな話し方をするウィリアムズは、ハンサムではないけれど、とても愛嬌のある少年だ。彼のインタビュー・シーンになると、観客席から笑いが起こることもしばしば。


 けれどウィリアムズはライカーズ・ハイでGED(高校卒業資格)を取得できないままに刑期を終え、出所してしまう。一緒に暮らしている恋人が妊娠したこともあって職探しに奔走するものの、前科だらけでGEDのないウィリアムズは、8ヶ月たっても仕事を見つけることができないままだ。


 アンドレ・ブランドン(18歳)は重度の鬱病を持っており、家出を繰り返していたが、保険金詐欺のために叔母の車に放火をして逮捕された。


 父親が威圧的な人物で、アンドレが刑務所内から母親に電話をしても受話器を取り上げ、「弟が非行に走ってるのはお前のせいだ!」と責める。父親に怒鳴られているうちに通話時間を使い果たし、電話はいきなり切れてしまう。無言で電話室を去るアンドレ。


 この作品はラティーノ・フィルム・フェスティバルで上映されたため、上映終了後には制作関係者による撮影裏話があった。ライカーズ・ハイの教師はアンドレにアニメ作家としての才能があることを知り、出所後にディズニーのインターンの面接を設定する。ところが何が起こったのか、アンドレは面接には現れなかった。






 「いったいどうやって撮影許可を取ったのだろう?」
 これが、映画を観た私の最初の感想だった。なぜなら昨年、私も『ヒップホップの真実』という記事を書くためにライカーズ・ハイを取材しようと考え、市の管轄局に連絡を取ったところ、「未成年の人権を守る」という理由で断られたのだ。


 『ライカーズ・ハイ』の監督、ヴィクター・バーラーはイギリス出身。特殊学級の教師だった母親の影響で、以前から青少年の更生施設に興味があったといい、ハーヴァード大学院在籍時にライカーズ・ハイでボランティアとして少年たちに映画撮影を教えている。それを1年間続けて少年たちと教師の信頼を得、ようやく『ライカーズ・ハイ』の撮影許可を得たのだった。


 とはいえ、撮影できる範囲に制限があったことは明らかで、ライカーズのもっとも過酷にして陰惨な部分はスクリーンには登場しない。


 私も取材はできなかったものの、後日、別なルートでライカーズを訪れる機会があったし、ライカーズの元囚人にインタビューもできた。だから多少の実情を知ることができたのだが、所内の環境は10数年前に比べると格段によくなったとはいえ、まだまだ「安心して更生にはげむことができる場所」では決してない。


 たとえば面会に訪れる家族や友人は厳しい身体検査を受けるにも関わらず、所内にはドラッグが蔓延している。なぜなら一部の悪徳C.O.(刑務官)が非合法物品の流通を、金のために見逃しているのだ。


 囚人間の嫌がらせ、リンチ、殺人、レイプも行われている。『ライカーズ・ハイ』に登場する少年の一人は刑期中に19歳の誕生日を迎え、その日のうちに少年院の建物から成人刑務所に移される。


 刑務所に着き、少年院の制服から成人用の制服に着替える少年に、周囲の囚人たちが「へへへ〜、お前、19歳かよぅ」とうすら笑いを浮かべる。この映画で、私がもっとも恐ろしいと感じた瞬間だ。


 少年院でいくら幅を訊かせていようが、成人刑務所の筋金入りの犯罪者にすれば、所詮、世間知らずの子どもだ。カメラはそれ以上奥には入れず、映画の最後にテロップが流れる。
 「少年は成人刑務所で4ヶ月を過ごし、出所した」
 その4ヶ月の間の物語は語られることはなかった。






 未成年であっても、犯罪に加担するかどうかは本人の意思と決定であり、罪を犯した者は罰せられなければならばい。しかし、ゲットーに生まれた若者には、驚くほど選択肢が少ない。


 家族、友人、近所の住人がすべて貧しく、贅沢をしたことがない者にとって現金を手に入れることは常に夢だ。しかし、大学を出なければまともな仕事に就けないという現状にも関わらず、ゲットーにある公立学校の教育レベルは低い。就職以前の大学進学自体が困難なのだ。


 こういった環境の中、少年たちには見せかけのマッチョ思想が植え付けられていく。「仕事に就いて結婚して家族を養う」=「職場で活躍し、同僚からの尊敬や社会的地位を得る/家庭において良き夫・良き父親として尊敬される」といった、本質的な男らしさを発揮するチャンスがない以上、ファッションや立ち居振る舞いといった外面で男性性を押し出すしかない。黒人の若者が「リスペクト respect 尊敬」という言葉を多用というか、濫用するのも、ここに理由があるように思える。映画に登場する少年も、友人から「強盗をしなければ腰抜けだ」と言われ、武装強盗をして逮捕されている。少年は、友人からの respect を得たかったのだ。






 ライカーズの関係者は「罪を犯した者を刑務所に入れるだけでは何の解決にもならない」と言う。出所した者の85%は再び犯罪を犯してライカーズに戻ってくる。犯罪以外には彼らが生きていく道がないからだ。


 だからこそ教師はアンドレがディズニーの面接を受けられるように取り計らった。ディズニーのような超一流スタジオで働きたがる若者は多く、面接の約束を取り付けるだけでも簡単ではなかったはずだ。しかし、アンドレは面接に来なかった。


 こういったことは、実はそれほど珍しくはない。たとえチャンスに恵まれても本人に意欲がなく、フイにしてしまうのだ。これはゲットーを知らない者にはなかなか理解できない部分なのだが、本人を取り囲む環境が、あまりにもネガティブなゆえだ。


 周囲が途切れることなく問題を起こし続け、ポジティブな方向に意識を集中できない。(家の中では家族がいがみ合い、外からは銃声が絶え間なく聞こえてくる環境でものごとに集中できるだろうか?)


 つまり、ゲットーの若者をバックアップするには、本人の環境だけではなく、本人を囲む家族の生活環境も改善しなくてはならない。アンドレの父親のように、親が苦しい生活に耐えかねてフラストレーションを子どもにぶちまけることも珍しくはない。親が良い仕事に就くことができれば経済的にうるおい、家庭内の雰囲気はやわらぐ。やがては環境のいい地区に引っ越すこともできるだろう。こんな風に親が努力をし、その努力が報われることを子どもが見ることが出来れば、それだけでも子どもにとっては計り知れないポジティブ・サインとなる。「自分も真面目にがんばれば、ドラッグを売ったり、強盗しなくても、まともな生活を手に入れられるんだ」。


 刑務所の物語は、ゲットーというコミュニティ全体の大きく深い物語の、ほんのごく一部なのだ。



パート2『ブレット・イン・ザ・フッド』


What's New?に戻る
ブラックムービーに戻る

ホーム