2002/02/04
アメリカの黒人
アフリカン−アメリカン
カリビアン
アフリカン
●ロドニー(アフリカン−アメリカン)
(ハーレム地下鉄3番線の車内を見渡して)
最近はこの辺りもアフリカ人が増えてきたな。
●アブゥ(アフリカ・ニジェールからの留学生/レストランで皿洗い)
アフリカン−アメリカンは、僕たちアフリカ人が白人の店で働くことを良く思っていない。それは新たなスレイバリー(奴隷制)だと思ってる。だけど僕は学費を貯めてアメリカの大学に行き、母国のために教師になるつもりだし、今は同胞に声をかけて、国に病院を建てる資金を集めている最中なんだ。
●ラリー(アフリカン−アメリカン)
(長年暮らしたハーレムからブルックリンに引越して)
ブルックリン暮らしは楽しいかって? とんでもない。(ここはカリビアンばっかりで)アメリカ人はいったい、どこに居るんだよ?
●ウェイン(生後6ヶ月で両親と共にガイアナから移民として渡米したカリビアン−アメリカン)
ニューヨークといってもブルックリンのカリビアン地区で育ったから、自分自身のアイデンティティはアメリカ人というよりカリビアンだな。時々アメリカ人の物の考え方が判らないことがあるし、僕のガールフレンドはアフリカン−アメリカンなんだけれど、彼女も時々、僕や僕の両親の言ってることが理解できないみたいだよ。
ブルックリンからハーレムに通勤してるんだけど、ブルックリンのほうが断然、カルチャーが豊かだね。
●ローラ(アフリカン−アメリカン)
カリビアン・フードなんて、昔は食べたこともなかったわ。今ではライス&ピーズなんかは食べるけれどね。
●ブルックリンの路上で声をかけてきたドレッドロックの男(カリビアン)
ハーレムから来たって? ブルックリンでいったい何してるんだよ?
ハーレムにはアフリカン−アメリカンが多く、ブルックリンにはカリビアンが多い。アフリカからの移民もハーレム、ブルックリン、ブロンクスに分散して暮らしている。
みんな「黒人」。けれど、それは外見のはなし。話す言葉、食べ物、音楽、習慣…それぞれに違う。アフリカン−アメリカンはアメリカで生まれ育った「アメリカ人」。でもカリビアンやアフリカンは、他の国からやってきた「移民」。さらに「カリビアン」ならジャマイカ、トリニダード、ハイチ…、「アフリカン」ならセネガル、マリ共和国、ニジェール…と出身国もいろいろ。
・・・・・
アフリカン−アメリカンの多くは「アメリカ人」と「黒人」という、ふたつのアイデンティティを持っている。世界のリーダー、アメリカ合衆国(と本人たちは思っている)の人間であるというプライドと、白人社会からのプレッシャーの下に暮らすマイノリティ=黒人としての意識は、常に複雑な心理の葛藤を生む。
ところが、移民の場合はさらに複雑なアイデンティティを持つ。例えばジャマイカ系なら、彼らは絶対的に「ジャマイカ人」であるけれど、ここアメリカでは大雑把に「カリビアン」として捉えられるし、本人たちも個別の出身国を超えて「カリビアン」としての連帯意識を持っている。と同時にアメリカ暮らしが長くなれば「アメリカ人」としての意識も出てくるし(ただしジャマイカ生まれの一世と、アメリカ生まれの二世以降では、その強さが相当に違う。)、加えて「黒人」としての意識も当然、強烈にある。
アフリカン−アメリカンは、これは一般論ではあるけれど、カリビアンやアフリカンを見下している。「同じ黒人でも自分たちは先進国アメリカの人間で、彼らは第三世界からやってきた移民だ」と。それに対してカリビアンやアフリカンはもちろん、「アフリカン−アメリカンよりも自分たちのほうがよほど真面目に働いているし、オリジナルなカルチャーも持っている」と反発心とプライドを抱いている。
けれどアメリカには「黒人差別」という、彼ら全員にとって大きな障害がある。差別する側にとっては「アフリカン−アメリカン」も「カリビアン」も「アフリカン」も関係なく、単に「黒人」。(ここには外見が黒人に見えるラティーノも含まれる) だからこの三者はお互いに反発すると同時に連帯感も持っている。
「アメリカ人」vs「移民」という図式では牽制しあいながら、「黒人」vs「白人」という図式のもとでは団結する。それが「アメリカに暮らす黒人」たちの複雑で微妙な相互関係。
【ハーレム観光】
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