NYBCT

2005/07/04




映画に見る黒人とイタリア系の関係
ゴッドファーザー/ブロンクス物語/ジャングルフィーバー



数日前、白人が黒人を金属バットで殴り、頭がい骨骨折の重症を負わせる事件がニューヨークで起こった。


こちらではヘイトクライム(マイノリティやゲイをターゲットにした嫌がらせ犯罪)として大きく報道されている。その際、「白人 white men が黒人 black men を襲った」と表現されているが、主犯の少年はニコラス・ミヌッチという名前からイタリア系であることが容易に分かる。


イタリア系と黒人は、ここニューヨークでは永年に渡る不仲の歴史を持っている。その理由は、遡ればイタリア系の移民史に繋がる。




■ハワードビーチ2005年


以下、事件当日にブログに書いたものと重なる部分もあるが、事件の経緯から。


6月30日の午前3時頃、ニューヨーク市クイーンズ区のハワードビーチ地区の路上に3人の黒人男性がいた。車で通行中にそれを見たニコラス・ミヌッチ(19歳)は、15〜20分後に友人2人:アンソニー・エンチ(21歳)とフランク・アゴスティニ(20歳)を車に同乗させ、黒人男性3人を探索。3人を見つけると、車を降りて追跡。黒人3人はいったん物陰に隠れたが、ミヌッチはグレン・ムーア(22歳)を見つけ、車に積んであった金属バットで頭、脚、背中を殴打。その際に黒人の蔑称「ニガー」を口にしている。


ミヌッチの友人エンチはムーアの履いていたスニーカー、エアジョーダンと、付けていたピアス、ムーアが持っていたショッピングバッグ(中身はムーアの恋人のプラダの靴と、2人の間にできた生後6ヶ月の娘のエアジョーダン)を奪った。犯人たちは路上に横たわるムーアを残し、車で走り去った。


ムーアの友人:リチャード・ウッド(20歳)とリチャード・ポープ(25歳)が救急車を呼び、ムーアは病院へ搬送。2人は警察の事情聴取に対して、車を盗むつもりでハワードビーチに来たが、盗難をあきらめて路上にいたこと、特定の高級車を盗むことを前提に6000ドルをすでに受け取っていたと答えている。おそらく盗難車ディーラーと取引しているプロの窃盗犯だろう。ムーアは昨年、車の窃盗で一度逮捕されており、友人2人はぞれぞれ複数の逮捕歴がある。


友人2人の証言からミヌッチが即効で逮捕された。翌日にはエンチも逮捕され、アゴスティニは自ら出頭。ただしバットで殴ったミヌッチと、スニーカーを盗んだエンチだけが起訴され、アゴスティニは起訴を免れる模様。(ちなみにアゴスティニの父親はニューヨーク市警の刑事。)




■イタリア移民の歴史〜「ゴッドファーザー」1900〜1950年代


ハワードビーチは住人の96%が白人で、黒人は1%。ニューヨークの多くの地域が移民の流入と黒人の中流化に伴ってどんどんとマルチエスニック化している中、これほど白人率の高いエリアは珍しい。特にここは昔からイタリア系コミュニティとして知られており、今回の犯人もイタリア系だ。


イタリア移民がニューヨークにやって来始めたのは1870年代。イタリアは北部と南部で国民の生活レベルが大きく異なり、ニューヨークに移住したのは南部の貧しく、教育もあまり受けていない農民だった。以後、大量の南イタリア人がニューヨークに移り住んだ。


映画「ゴッドファーザー」3部作(72, 74, 90)も、1900年代初頭に南イタリアの貧しい島シシリー(シチリア)からニューヨークに移民としてやってきて、イタリア人街でヤクザとなり、やがて大物となったドン・コルレオーネ(マーロン・ブランド、青年期はロバート・デニーロ)と、二代目ドンとなったアメリカ生まれの息子(アル・パチーノ)の物語だ。


イタリア人がニューヨークに移民した頃、すでに地位を固めていた他のヨーロッパ系(イギリス系、ドイツ系、フランス系など)は後続の貧しいイタリア系とアイルランド系を見下し、白人の中にも出身国別のヒエラルキーが出来上がった。


こういった事情によりイタリア系とアイルランド系は、条件の良い仕事に就くことが難しかった。それゆえに、当時はかなりの危険を伴っていた地下鉄工事人となるイタリア系が多かったし、やはり危険な仕事とされていた警官と消防士を選ぶ者も多かった。それが彼らの伝統となり、現在もNYPD(ニューヨーク市警)とFDNY(ニューヨーク消防局)にはアイルランド系とイタリア系が多い。現在のNYPD長官はアイルランド系、FDNY長官はイタリア系だし、殉職した警官の葬儀では今もアイルランド民謡の「ダニーボーイ」が演奏される。


賃金の高い仕事に就けないイタリア系は、当然、家賃の安いエリアにしか住めなかった。多くの場合、それは黒人街の近くであった。たとえばハーレムの東隣りのイーストハーレム。今はプエルトリコ系の街となっているが、かつてはアメリカ最大のイタリア人街だった。「ゴッドファーザー」に主演したアル・パチーノは実際にイタリア系で、1940年にイーストハーレムで生まれている。しかし、その頃にはイーストハーレムの住人の多くはプエルトリコ系に変っており、イタリア系は続々と他の地区に越しつつあった。アル・パチーノの一家も、彼が子どもの頃にブロンクスに越している。




■「ブロンクス物語」1960年代


ところが、ブロンクスに越したところで、近隣にはやはり黒人街があったのだ。映画「ブロンクス物語」(93)は、ニューヨーク生まれのイタリア系俳優チャズ・パルミンテリが自分の生立ちをベースに書き、それをロバート・デニーロが監督・出演した作品だ。


映画は1960年代、ブロンクスにあるイタリア人街が舞台。ここで生まれ育った少年カロジェロは、近所に住むマフィアのリーダーに憧れ、それが理由で生真面目なバス運転手の父親と衝突する。10代になったカロジェロは、友人たちとギャングのような振るまいを始める。隣りの黒人街から境界線を超えてイタリア人街に入ってきた黒人少年たちを袋だたきにすることもあった。しかし、カロジェロが黒人少女と恋に落ちたことから、やがて惨事が起こるのだった。


先に書いたように、これはイタリア系のチャズ・パルミンテリの子ども時代の思い出が元になっており、当時のイタリア系と黒人の衝突が事実であることを物語っている。




■ハワードビーチ 1986年


「自分は白人なのに、他のヨーロッパ系からバカにされている」「自分は白人なのに、なぜ黒人の近所に住まなくちゃならないんだ」……こういった思いが、イタリア系が黒人を嫌っていた理由なのだろう。豊かな白人はリッチなエリアに暮らしているので自宅付近で黒人とすれ違うことはなかったし、ゆえに、たとえ人種差別主義者であっても路上で黒人を殴るといった行動は起こしようもなかった。ところがイタリア系は黒人が近所に暮らしていて、黒人の存在自体が、自分の置かれている社会的地位の低さを嫌でも思い起こさせる。だから黒人は憎しみのターゲットとなったのだ。


今回の事件が起こったハワードビーチでは、1986年にも黒人差別事件があった。


12月のある夜、黒人男性4人がハワードビーチを車で通り掛かったところ、車が故障。車内に1人が残り、3人が近くにあったピザ・レストランに電話を掛けに出たところ、白人のギャング10人前後が3人を追いかけ、1人はバットで殴られて重症となった。別の黒人男性は逃げるために車道に飛び出したところ、車に轢かれて死亡。


当時10代だった白人ギャングの3人が逮捕、起訴された。主犯格の少年は30年の刑を受けたが2001年に出所。イギリスからの移民であったため、母国に強制送還されている。あとの2人はイギリス系とイタリア系だと思われる。それぞれ18年、15年の刑を受け、2002年と2000年に釈放されている。(起訴されなかったギャングのエスニックは不明。)


この事件は全米で大きく報道され、ハワードビーチには黒人リーダーたちが足を運んだ。その際に住人たちは犯人釈放を求めるシュプレヒコールを繰り返すなどしたという。




■「ジャングル・フィーバー」1991年


時は移り、今ではイタリア系も中流化しており、郊外に家を買ってニューヨーク市内から出て行く者も多い。マンハッタンのリトルイタリーもかつては実際にイタリア系が暮らしていた街だが、今では観光地と化しており、しかも隣りのチャイナタウンの拡張に伴い、年々縮小している。


イタリア系と黒人の関係も、時代の移り変わりと共に格段に良くなったといえるだろう。住んでいるエリアが物理的に離れたことも理由かもしれない。しかし、スパイク・リーが黒人と白人の異人種間恋愛を取り上げた「ジャングル・フィーバー」(91)はどういうことだろう。


主人公の黒人男性は、ハーレムの中にある高級住宅地区ストライバーズロウに暮らす建築家。彼と不倫関係を持つ派遣社員の秘書は、ニューヨーク市ブルックリン区にある労働者階級の多いイタリア系コミュニティのベンソンハーストに暮らしている。


2人の関係が発覚したとき、それぞれの家族は激怒し、2人とも家から追い出されてしまう。ただし理由が違った。黒人男性の妻や妻の女友だちは「私たち黒人女性を裏切って白人女性に走った」と怒り、イタリア系女性の父親は「娘が自分たちよりもランクの低い人種である黒人と付き合った」ことが許せなかったのだ。


現在もイタリア系が強固にコミュニティを守っているのは、昔の苦労から自警・自衛の意味も込めて、団結・連帯する気持ちが強いからだといわれている。


また、かつて黒人はイタリア系よりも貧しく、イタリア系にはそれが「自分たちよりもさらに下層な者がいる」という安心感・プライドにつながっていた。しかし、今では自分たちよりもリッチな黒人がいくらでもいるという事実に苛立ちを覚える者もいるようだ。


註:「ジャングル・フィーバー」はフィクションであり、映画の内容がすべて実際にあることだと考えるわけにはいかないことを記しておく




■ニコラス・ミヌッチという少年


今回の事件は1986年の事件と違い、被害者が車の窃盗目的で現場にいたことから、世論も微妙だ。ただ、市長は「事件が起こった時、被害者たちは犯罪行為をしていなかった」「これは絶対的に人種差別事件である」と言明。(11月に市長選があり、黒人票を失いたくないという事情もあるだろう。) クイーンズ区の政治家たちも「ハワードビーチは1986年当時とは違い、状況はよくなってきている」と発言。住人からも今回の事件を残念がる声が上がっている。


しかし、事件の翌々日だったと思うが、テレビ局の黒人女性リポーターがハワードビーチの路上で撮影を行っていたところ、通行人が「ニガー!」と罵声を浴びせたという。(その通行人がイタリア系かどうかは不明。) 今回もハーレムの黒人リーダー、アル・シャープトンがハワードビーチに駆けつけたが、彼の背後には「ファット・ニック(ミヌッチの愛称)を釈放せよ」のプラカードを持った地元住人たちが写っている。「ミヌッチは車窃盗犯をやっつけただけだ」と発言している住人もいる。ミヌッチの友人である19歳の女性は、「あいつら(黒人3人)は、下層なアニマルよ」と発言。


主犯のニコラス・ミヌッチにも、被害者のグレン・ムーア同様に前科がある。9.11テロ事件が起こった、その当日の夜、当時15歳だったミヌッチは、ターバンを巻いたシーク教徒を襲っている。翌年には当時16歳の少年(白人)を刺している。ところが少年は裁判で証言する前に、地下鉄のプラットホームに転落して亡くなっており、その結果、ミヌッチは実刑を免れ、5年の保護観察となった。


ハワードビーチにジョン・ゴッチという伝説のイタリアン・マフィアのドンがいた。本人は3年前に病死しているが、姪とその息子たちの日常生活を追ったリアリティショー「Growing Up Gotti」が昨年テレビで放映され、一家はいわばプチセレブとなった。ミヌッチは姪の息子たちの友人で、番組にも出演している。ミヌッチは無職だが、6000ドルのローレックスと4000ドルのネックレスを身に付け、高価なSUVを乗り回していた。(そのSUV のカーステでミヌッチがいつも聴いていたのは、黒人ギャンングスタラッパーの50セントだという。)




■最後に


最後に、筆者が実際に知っている黒人とイタリア系の関係を書いておく。筆者の夫は黒人で、子どもの頃にイタリア系とアイルランド系の多い地区に越し、そこでいじめられた体験を持つ。(やられっ放しではなく、大いにやり返したそうだが。)

現在は仲の良いイタリア系の友人が2人おり、うち1人は黒人男性と結婚した。その夫婦はマンハッタンのダウンタウン(人種の混じった地区)に暮らし、3人の子どもを育てている。


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