NYBCT

2003/11/02




NYCマラソンの日 in ハーレム


 11月1日の日曜日は、毎年恒例の名物行事ニューヨークシティ・マラソンの日だった。ハーレムも全長42.195kmのマラソン・ルートに入っていて、何万人ものランナーたちがハーレムの中の5番街を南下していく。ハーレムにこんなに大量の白人がやってくるのは、おそらく1年でこの日だけだろう。


 今年は特に天気が良くて気温も高く、沿道ではハーレムの人々が三々五々集まりマラソンを見物していた。その様子はいかにもハーレムらしく、ゆったりのんびりしたものだ。人出はほどほどで、歩道に座っても充分に見物できるし、気が向けば見知らぬランナーに向かっても「イエッ〜!!」の声を上げる。おまけに歩道には、オレンジ色のガウンをまとった15人編成のゴスペル・クワイアや、平均年齢55歳以上と思われるゴスペル・バンドもいて、それぞれが楽しそうに歌ったり演奏したりしている。応援のためというよりは、自分たちの楽しみのためという感じもするが。

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 今回のマラソンでは、ヒップホップ界の大物プロデューサーであり、ストリートファッション・ブランド「ショーン・ジョン」の経営者でもあるP・ディディの参加がひとつの話題だった。本人がハーフ・マラソンを走ることによって、一般市民に教育機関への寄付を呼びかけるというものだ。(100万ドルを目標としていたが、最終的には200万ドル集まったそうだ。)


 P・ディディ本人によると、今回のチャリティー・マラソンを行った理由は、「自分が属するショービジネス界にはフェイク(まやかし)が多いけれど、子どもたちはリアル(本物、現実)だから」ということらしい。ところで先週だったか、南米にある「ショーン・ジョン」の縫製工場の女性工員がはるばるニューヨークまでやってきて来て、「私たちはスウェット・ショップ(極端に劣悪な環境と低賃金の工場)で働かされている」と訴えていた。抗議運動を起こされることを知って、なにかしらのイメージアップを図ろうとしてマラソンに参加したのではないか、というのは穿ちすぎ?


 P・ディディが以前から子どもの支援団体を持っていることは事実だけれど、以前、意見の相違があったレコード会社の重役をイスで殴り倒したことや、タイムズスクエアのクラブで発砲事件を起こしたことも事実だ。この、ハーレム出身のヒップホップ・アイコンについては、そのうちに改めて書きたいと思う。

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 そこら中に貼られた「ディディがシティを走る!」というポスターを眺めながらマラソン・ルートの5番街を歩いていると、見物人の一人から声を掛けられた。見ると、知人のGだ。歩道と車道の境に座ってマラソン見物をしている。Gは30代の男性で、一時、ハーレムの恋人の家に移り住み、恋人の息子も含めた3人で暮らしていた。けれどその後、恋人と別れてサウスブロンクスの母親の家に戻ったと聞いていた。


 なのに今日、Gの隣に座っていたのはハーレムの恋人だった。美人で朗らかで、なにより頭が良く、ダウンタウンで堅実な仕事に就いている女性。久し振りに見た彼女の息子はもう13歳になっていた。以前は小太りだったのに、スポーツでも始めたのか良い具合にやせて、以前の冴えないアフロもコーンロウになっていた。この少年も母親譲りのおだやかな性格で、この日も私を見ると「久しぶりだね」と、以前と変わらない笑顔でハグをしてくれた。私より背が高くなっていた。


 Gは昔、ラッパーとして一時的に成功したことがいまだに忘れられず、過去の業績をなんとか「ビジネス」につなげようと四苦八苦している。けれど、肝心のラップはもう止めてしまったようだ。


 その気になれば、どんな男性とでも付き合える美人で頭の良い恋人は、なぜGと寄りを戻したのだろう。大人のしていることが理解できる年齢となった彼女の息子は、自分の母親とGの関係や、自分の家に男がやってきて住み付き、一度出ていき、そして戻ってきたことを、一体どう思っているのだろう。3人は、まるで本物の親子のように楽しそうにマラソン見物をしていたけれど。

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 3人と別れてから友人のアパートに向かって歩いていると、タヤーナにばったりと出会った。タヤーナは昨年、25歳で初めての子どもを生んだ。ハーレムでは当たり前のことだけれど、シングル・マザーだ。子どもの父親とは妊娠初期に別れており、出産時には自分の母親と暮らしていた。けれど母親のアパートは狭く、出産後しばらくしてニューヨーク州北部で広い家に住む親戚の家に赤ん坊と一緒に移っていった。それまでアルバイト程度の仕事しかしたことのなかったタヤーナにとっては住居スペースこそが最も重要な問題で、仕事は引越してから探せばいいや、ということだったようだ。けれど、タヤーナはいつの間にかハーレムに戻ってきていたのだ。最初はまた母親と同居し、今はどこか別のアパートに住んでいるらしい。


 道での立ち話にもかかわらず、タヤーナはバッグから赤ん坊の写真を数枚取り出し、私に見せ始めた。妊娠する前はショートカットの髪を真紅やグリーンに染めていたタヤーナだけれど、今ではすっかり良い母親だ。「ほら、大きくなったでしょ」「その写真、あげるわ」と、1歳を越えた息子が自慢で仕方ない様子だった。

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 日が暮れてから自宅に戻ったら、同じアパートの向かいのジャクソン家から、母親が子どもを叱っている声が聞こえてきた。「お母さんの言うこと、分かった!?」


 このジャクソン家は、警察勤務の父親、専業主婦の母親、小学生の息子がふたりという、絵に描いたような「標準的な家庭」だ。けれどアメリカの黒人の子どものうち、結婚している両親と暮らしているのは、全体の39%に過ぎない。そういえば、P・ディディもシングル・マザーに育てられていたっけ。



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