NYBCT

2002/08/01

ハーレム/ショート・ストーリーズ

 ハーレムにはいろいろな人が暮らしている。一見、どうしようもない“おっちゃん”や、怒鳴り散らしてばかりの怖い“おばちゃん”がたくさんいるし、わけもなく夜中に騒ぐ若い男も多い。おまけに子供たちは早熟。そんなハーレムの住人たち、ひとりひとりが、実は語るべきストーリーを持っている。

・・・・・

 ハーレム135丁目に託児所がある。そこの教室の床にグリーンの紙が落ちていた。拾ってみると子供の書いた短い作文だった。文体や筆跡からみると、おそらく10歳くらいだろう。「アイ・ラブ・マイ・マミー・アンド・ダディ」で始まる作文は、けれどこう続いていた。「でも、目が覚めると、いつも良くないことが起こっている」。両親が口論していることを指しているのだ。そして、こう続く。「家の中に、まるで“ハーレム”があるみたいだ」。
 子供にとって、両親のケンカを見ることはなによりも辛い。それを“ハーレム”と例えたこの子にとって、自分の住む街であるハーレムは、一体どんな場所なのだろう。ハーレムが大好きだという子供だって多いというのに。最後に「クリストファー」と名前が書いてあり、となりのページには、仲良く手をつないだ両親の絵が描かれていた。

・・・・・

 夕方、託児所を出て135丁目を歩いていると、顔見知りの男の子が、ハーレムならではの広い舗道で遊んでいた。建物入り口の階段にはオレンジ色のサマードレスを着た母親が座っていて、その脇にはベビーカー。中には、まだまだ短い髪の毛にいくつかビーズを付けてもらった女の赤ちゃん。
 「ケガ、どう?」と、男の子に訊く。前日、遊んでいて転び、おでこを何針か縫ったのだ。
 「大丈夫」と、そっけなく答える。この子はほとんど笑顔を見せないタイプの子だ。すると母親が明るい声でしゃべり出した。
 「もう大丈夫なのよ。遊んでて転んで切っちゃって、縫っちゃったんだけどね、もう大丈夫。今は、ホラ、そうやって絆創膏を貼ってるけど、夜、寝るときはね、はがしてるのよ。そうすれば、ホラ、乾燥するからジュクジュクすることもないじゃない」…と、とめどなく話し続ける。次に「これは、この子の妹」と言って、ベビーカーの赤ちゃんを指差す。「ホラ、ハーイ!って言ってみなさい、ホラ、ホラ!」と、今度は赤ちゃんに向かって笑いかける。
 じゃあ、またね、と手を振り、そんな親子三人を後にして駅に向かった。

・・・・・

 135丁目の駅の入り口で私を待っていた夫に、ヒマそうに立っていた老人(こんな老人もハーレムには山ほどいる)が話しかけてきたという。「こう見えても昔はけっこう大物なドラッグディーラーだった」とかで、「一度、トランクに満タンのコカインを詰めて走っていたら警官に止められ、もはやこれまでか、と観念」した。ところが白人警官は、運転席の爺さん(当時はまだ若かった)をチラリと見ただけで、「もう行っていいですよ」と逮捕どころか、黒人相手にしては異常に丁寧な態度で通してくれたらしい。爺さんは、「そんなスリル満点の暮らしも、もう無理な年齢になったから隠居したんだよ」と笑いながら話を締(し)めて、また角のポールにもたれかかった。この話が本当なのか、暇つぶしのホラ話なのかは、もちろん知るよしもない。



What's New?に戻る
ハーレムに戻る

ホーム